今朝スマホを眺めていると、岡山大学の夜間主コース廃止のニュースが入ってきた。念のため岡山大学のHPを確認すると、そのとおりだという。ついに来るべきものが来たということだろう。

 

もともと新制岡山大学法文学部は旧制高校を母体とした学部のため、社会科学系の教授陣が手薄であった。前身の旧制六高が東大をはじめとする帝国大学への教養課程であり、語学・文学系、物理、化学系の教授陣が中心であったから仕方ないことである。そのためか新制大学発足後5年経った昭和29年に経済学や法学の教授陣を増やす方便として法文学部と別に法経短期大学部が開設された。それから11年たって夜間部として法文学部第二部が設立される。

岡山大学の経済学部長だった神立春樹名誉教授の「回想の岡山大学三十年」によると、法文学部経済学科では一部(昼間部)の教授定員で8講座20名(助手を含む)を経済学部門に充当し、二部(夜間部)の教授定員で5講座8名を経営学や会計学といった経営学部門に充当したという。

表面上の両者の講座数に比べ、教官数の割り振りが露骨に経済学部門に傾斜しているのは岡山大学が「民よりも官」という旧帝大系の学統に属する大学であることを物語っている。だからであろうか、学部発足以来法学部と並んで公務員試験に強いことが伝統となっている。いずれにしても、中国地方を統べる広島と違って国の出先機関が殆どなかった岡山という地方都市で夜間部を立ち上げたことにより、地方国立大学の法文学部としては比較的に多い教授数を経済学科に確保した。それが、昭和55年の法文学部改組の際に岡山大学が熊本大のように法文学部→法学部・文学部とならずに、法文学部→法学部・経済学部・文学部となった一因である。

(  「岡山大学格・規模の経済としては異例ともいえる多さであるが, この数は第二部があったことによるのである。」同書より  )

 

筆者の見方だが、現在の入試制度がセンター試験から共通テストに切り替わるこのタイミングで、岡山大学は自身のブランドイメージの再構築を推進しているように見える。

そのひとつが、先年実施された全学の後期日程募集の廃止である。

もともと旧一期校であった岡山大学としては、前・後期で募集することにより、後期日程で岡山大が第一志望でない学生を受け入れることについて抵抗があったということだ。

かつて共通一次試験がセンター試験に切り替わる直前に受験機会の複数化が導入され、全国の国立大学の受験日を京都大学を頂点とするA日程と東京大学を頂点とするB日程に分けたが、東大との併願合格者をことごとく東大に取られて補欠合格者を大量に出す屈辱を味わった京大はこの制度に拒絶反応を示し、その後に独自の分離分割方式(現在の前後期入試制)を打ち出した。

これが瞬く間に全国に普及して、今ではこれが国立大学入試の標準となっている。これにより大量の入学辞退により右往左往することはなくなったが、各大学にとって悩みの種は、旧二期校や最初のA・B日程の連続方式と違い、前期試験の不合格者のみを対象に選考を行った分離分割方式後期日程入学者の存在、この異分子たちのその心のケアなのだろう。岡山大が第一志望ではなかった学生を多数受け入れることによる学内における不協和音。これは上位校になればなるほど看過できない問題だと容易に察せられる。

一方では旧二期校の名門、滋賀大学経済学部のように、「不本意入学上等、入ってきたら鍛えなおしてやんよ」とばかりに、意図的に京阪神や東海地方の上位国立大学志願者の受け皿になるように一般入試合格者数の過半を後期日程で占めるように操作する大学もあるが、これはあくまでも少数派である。

京都大学、大阪大学、神戸大学といった関西の国立大学上位校がそれぞれ「募集形態の多様化」を錦の御旗にして推薦募集定員を増やして従来型の後期日程を廃止し、一般入試は自校を第一志望とする前期日程だけに移行していったのは自然な流れと言える。

 

1987年東大・京大ダブル合格者輩出高校ランキング

 

 

その延長線上で、もうひとつの学内の不協和音の元であった二部(夜間主コース)問題について、岡山大学も外科手術を行うことになったと想像する。

京阪神の私立大学でトップ校というと今も昔も関関同立の4校であるが、かつては関西学院大学を除く3校には夜間部があった。

というより、立命館大学や関西大学など、いわゆる法律系の私立大学は夜間部のほうが母胎ともいえる。発足時これらの法律学校は資金力がなかったため専任の教員は殆ど雇用できず、そのかわり新設された京都帝国大学の教授陣や京阪神の法曹専門家を主に夜間の兼任講師として迎えることで経営と高い教育の質を成立させていた。旧制大学時代はこれらの学校の経営の屋台骨を支えていたのは少数派の昼間部の学生ではなく、学生の大半を占めた夜間部や夜間専門部の学生である。それが戦後になり大学紛争沈静化後の度重なる国立大学の授業料値上げと私学助成によって大学がキャッシュリッチとなった今では、夜間学部の役目はもう終わったとばかりにその定員を次々と昼間の新設学部に振り替えて、今では跡形もなく消えてしまっている。

いっぽう旧商大の夜間部として伝統のあった神戸大学、すでに大阪公立大学に再編された大阪市立大学の夜間主コースも廃止されて久しい。国公立大学の大学法人化と文科省の助成削減は研究力の低下を招いていると批判されているが、その環境下で生き残りを模索する各国公立大学にとって、夜間主を維持することのデメリットとメリットを冷徹に比較して、ソロバンをはじいたのであろう。そこには、当然「霞が関の意向」が働いているのは間違いない。全国で教員養成学部のゼロ免課程が閉店ラッシュとなり、かわりに地域創生系のキラキラネームの学部が雨後の筍のように大量生産されたと思ったら、今度は全国の地方国立大の各学部で学科を廃止して1学科多数コース制への移行である。その副産物のように夜間主コースの閉店ラッシュが続いている。これで中国地方の社会科学系の国立大学で夜間主コースを維持しているのは広島大学1校となる。筆者も知らなかったが、すでに近畿地方では最後まで残っていた滋賀大学の募集停止が決まっている。九州も最後の長崎大学が「教員の働き方改革のため」に廃止済であり、学生定員60名は大学当局により全然関係のない水産学部等の定員に振り替えられてしまった。四国は香川大学と愛媛大学の2校がまだ残っているが、西日本全体で社会科学系の国立夜間主コースは中四国のたった3校に減ってしまった。文字どおり絶滅危惧種である。

 

筆者は、二部・夜間主を完全否定する考えは持っていない。

個人的には、社会人駆け出しだった頃に当時まだ目黒にあった東京都立大学法学部で夜間主の講義を聴講したのを皮切りに、転勤に応じて何校か聴講をさせてもらった。

夜間でもフルタイムで通えるのは暇な役所勤めの人間に限られるだろうが、アラカルトで特定の講義だけを受けるにはコストパフォーマンスもよく、教育のリカレント化という観点ではとてもいい制度である。

であればこそ、今の国立大の夜間主コースの実態が社会人への教育機会の提供という本来の目的からずれつつあることに対して不満を禁じ得なかった。

このため、今回の岡山大学法学部・経済学部の決定については、正直来るべきものが来たという感想である。

 

 

 

山陽新聞web版より引用

 

>岡山大 夜間主コースの募集停止 26年度から、社会人学生が減少

 

岡山大(岡山市北区津島中)が法学部と経済学部に設置している夜間主コースの募集を2026年度から停止することが7日、同大への取材で分かった。日中に常勤で働きながら学ぶ社会人学生が減少したのが理由といい、岡山県内の大学で唯一の夜間コースは約半世紀の歴史に幕を閉じる。

 夜間主コースは、1980年度に「法学部第二部」「経済学部第二部」との名称で日中に働く社会人の学びの場として創設した。2004年度にコースに改組。これまでに約3500人を輩出している。

 当初は社会人学生が中心だったが、高校生の大学進学率の向上やオンライン教育の普及などを背景に社会人の入学が徐々に減っていた。現在は高校生の受験が中心で、入学後に常勤で働いている学生は1割に満たないという。

 25年度入試の夜間主コースの募集定員は法学部20人、経済学部40人。同コースを募集停止する26年度からは新たに昼間コースで社会人選抜を行うこととし、職歴が3年以上ある21歳以上(26年3月31日時点)を対象に書類審査や面接などでそれぞれ若干名を選考する。

 同大は「昼夜別々だった教育プログラムを見直し、多様な学生が共に学ぶ相乗効果を生み出していきたい」としている。

 

(2024年06月07日 22時10分 更新)