今日は、国公立大学の後期日程の試験日らしい。

この頃になると、四国路では梅だけでなく彼岸桜もちらほらと咲き出し、春がもうすぐそこまで来ているという実感を強くする。受験生諸君も頑張ってもらいたい。

 

さて、歴史小説家の司馬遼太郎は、若いころは産経新聞の記者であり、京都の記者クラブに詰めていた。京都の学術の中心は京都大学であり、科学系の記者クラブもその中にあった。
そして、外から連絡のため京都大学の交換へ電話すると、電話口からは「大学です」と名乗るのだという。もちろん、かけるほうも「大学ですか?」としか聞かない。
そこには調和がある。

 

市内の他の大学も記者会見に利用する京都大学記者クラブ

 

京都大学記者クラブ

 

ダイヤルインが普及した現在では考えられないが、例えれば、携帯電話に電話した相手がいちいち自分の名前を名乗らず、かかってきた電話に対して「はい、もしもし」としか答えないのにちょっと似ているかもしれない。普通、携帯電話は当人しかとらないから。
京都市内に「学校」は幾多あれど、「大学」として自他ともに認められているのは、洛北の京都大学以外ありえない。地元の人間ならそうとる、といういかにも京都人らしい考え方である。
したがって古い京都人にとって、「学生さん」とは京大生を指す。同志社の学生には「同やん」、立命館の学生には「立ぼん」という愛称で呼んで、京大生に対する「学生さん」とは呼び方で明確に区別する。
良くも悪くも、京都人の外面の良さと内部の二面性は「お茶漬けでも」という言葉に象徴されているが、その延長線にある思考法だろう。
そこでは、「オンリーワン」と「それ以外」というロジックがはたらいている。
京都府立医科大学は、京都で一番古い公立の医学校を前身とし、その歴史は京都帝国大学に医学部よりも古いことが自慢であったが、今回の学長自身がかかわっていたとされる醜聞で、その伝統も権威も何もかもが失墜してしまった。
「同じ医学部でも、しょせんは公立大学やな」と見た京都市民も多かったに違いない。
今後、「オンリーワン」は、ますます「オンリーワン」になってしまうのだろう。

 

さて、同じことは、東京以外のどの地域でも多かれ少なかれ生じている現象である。
そして、幸か不幸か、大都市圏以外には地元国立大学に匹敵する陣容のある公立・私立の大学がない。これは明治期の大学教授の供給元が大都市にしか存在しなかったということが原因である。早慶以外の私学では、宣教師や僧侶がボランティアに近い形でスタッフに参加するか、司法官や弁護士といった他に定職のある者が薄給で法学部の非常勤教員として参画することでなんとか経営を成り立たせていた。
戦後の私学振興策と入試制度のおかげで、現在は経営的には国立大学以上の公立、私立の大学は沢山存在する。学費と国の補助金の額は、その大学の入試偏差値ではなく、入学する学生の「数」で決まるからである。ただし、社会的権威はというと、まだその域には達していない。それは、現実の入試の偏差値以上に社会から評価されている公立・私立の大学が少ないことでもあきらかだろう。いわゆる、「入試偏差値」に対する「お買い得度」の有無である。商品で言えば、「値段」と「効能(満足度)」の関係である。
むしろ、バブル期に跳ね上がって、その後リーマンショックまでに急激に乱高下をやらかした多くの大学の入試偏差値など、受験産業のスタッフか、よほどの入試フリーク以外フォローしきれていないのが現実である。
結果、各高校の入試結果の良し悪しは、昔ながらの「定点観測」である地元国立大学、あるいは周辺国立大学上位校への合格者状況を「指標」として争われることになる。
系列校・友好校からの推薦入試が入学者の何割かを占める事態になっていることを除いても、景気変動によって入学者の質的急上昇と急降下を繰り返す大多数の私立大学について、これを外から正当に評価しろというほうが、どだい無理というものである。
そもそも「入口」が独自入試からセンター利用入試まで複線化されているのだから、評価のしようがない。老舗の予備校だった代々木ゼミが、各大学の入試偏差値の公表をとりやめてしまったのも無理のない話である。

この際、面倒な観測はやめて、昔通りの国立大学合格者の「定点観測」で済ませてしまえと思う大人が多数を占めても不思議ではない。

そこにも「オンリーワン」の原理がはたらいているといえよう。