高松高商玄関

 

高松高商時代の大平正芳(後列左端)

 

 

戦前の旧制高校が、当時の入試制度で「特別待遇」され、留年しようが浪人しようがともかく無事に卒業さえすればほぼ全員が東京や京都などの帝国大学への進学を約束されていたために高い社会的評価を受けていたのに対して、旧制高商は本来実業界の幹部養成を目的とし、それ自体で教育が完結する「完成紳士教育」を掲げていたという点で根本的に違う。各高商からも毎年同期のうち数名だけが上級学校である官公立の商科大学に進学したものの、大多数は卒業後すぐに企業に就職する。言うならば今の新制大学に最も近い学校であった。

このため、全国の旧高商系経済学部各校では、戦後学制が変わっても旧制以来の学校の伝統が維持され、高商、経専時代の大物OBが若手の経済学部OBを引き立ててくれるという姿が随所で見られた。小樽高商OBの作家、伊藤整が言う「同族意識」である。

戦後、名門といわれた官立の旧制高校各校の卒業生が、後身である新制国立大学の卒業生との交わりを拒否して同窓会も別々の活動を続け、いままさに会員の減少と高齢化により活動を停止しようとしている姿とは大きく異なっている。

 

高松高商時代の卒業生は25期であわせて4000名ほどである。

 

今とは比較にならない「官尊民卑」の時代、3年制の専門学校とはいえ四国の最高学府として相当な権威があった。毎年送り出すわずか150名ほどの卒業生からは、数百人にのぼる上場企業役員をはじめ、昭和の政財界を代表する標高の高い人物を多数輩出している。

 

その主な人物を列挙してゆくと次の通り。

 

なお、すでに全員が現役を退いているため、役職名はすべて元職である。

 

【政界】

 

大平正芳(高商6回)第68・69代内閣総理大臣。

池田内閣官房長官、外務大臣、通産大臣、大蔵大臣、自民党幹事長を歴任。※高松高商卒業後、東京商科大 (現・一橋大)進学。

白石春樹(高商7回)愛媛県知事。

旧制松山商業から高松高商を卒業して愛媛県議。戦後、自民党県連のボスとして権勢をふるう。幹事長時代に愛媛勤評闘争 を指揮して愛媛県日教組を壊滅状態に追い込み、今に続く保守王国愛媛の基盤を作ったことで有名。愛媛県議会議長を経て県知事を4期務め、超ワンマンとして「白石天皇」と呼ばれる。自民党の実力者田中角栄に近く、本四架橋のうち最も実現可能性が低いとされた今治・尾道ルートを実現。 靖国神社玉串訴訟でも有名。

玉置 實(高商3回)衆議院議員、香川県経済部長、弁護士。

※高松高商卒業後、東京商科大進学。

小磯治芳(高商3回)香川県議会議長、香川県議。

※高松高商卒業後、東京商科大進学。

井上房一(高商10回)香川県副知事。

小野年之(高商18回)岡山県副知事、岡山県立美術館初代館長。

※高松高商卒業後、九州帝国大進学。

野田 卿(高商21回)長崎県諫早市長。

 

【財界】

 

宮武徳次郎(高商2回)大日本製薬(現・大日本住友製薬)社長、会長。

矢野良臣(高商3回)丸善石油化学社長。

旧制坂出商業から高松高商を卒業して日本銀行に入行。日銀京都支店長、外国局長を経て日綿実業(現・総合商社双日)に天下って副社長。大平が池田蔵相秘書官時代一万田日銀総裁の秘書役としてパイプ役をつとめる。大平が池田内閣官房長官時代に在京の高松高商財界人を集めた「太平会 」を結成する。

岡内英夫 (高商3回)資生堂社長、会長。

昭和22年に39歳の若さで取締役に就任、昭和42年社長、同50年会長。その在任中に資生堂の化粧品業界第1位の地位を揺るぎないものにした。

藤井良男(高商3回)フジタ工業(現在の㈱フジタ)副社長、フジタ建物社長、会長 。

山本道夫(高商3回)日本生命副社長、相談役。

徳島県の出身。オーナーの弘世社長を支え、事務方のトップとして長年活躍する。

橋本榮一(高商4回)三井物産副社長、会長、相談役。

県立神戸商業から高松高商を卒業して三井物産に入社。戦後の財閥解体後の大合同で復活した”新生”三井物産で、総務部長から専務、副社長になる。「人が仕事をつくり、仕事が人を磨く 」という言葉は「組織の三菱(商事)」に対して「人の三井(物産)」を象徴する言葉として今も三井物産のHPに残る。

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足立眞重(高商4回)松江相互銀行(現在の島根銀行)社長、会長。

増田健次(高商5回)野村證券副社長、野村コンピュータシステム会長。

大久保常雄(高商5回)神島化学工業 社長。

赤城猪太郎(高商5回)フジコピアン社長、会長。

※高松高商卒業後、東京商科大進学。

安本和夫(高商5回)トーメン 社長、会長。

※高松高商卒業後、大阪商科大 (現・大阪市立大)進学。

美馬儀一郎(高商7回)阿波商業銀行(現在の阿波銀行)頭取、会長。

神原武雄(高商7回)江商 (現・総合商社兼松)社長 。

鷹尾  寛(高商8回)新日本証券(現・新光証券 )社長、会長。

※高松高商卒業後、東京商科大進学。 日本興業銀行(現在のみずほ銀行)常務から興銀系の新日本証券の初代社長となる。興銀時代、新日本製鉄の大合併に関与する。
澤村貴義(高商8回)日本通運社長、会長。

※高松高商卒業後、神戸商業大進学。

田所芳蔵(高商8回)日本通運常務、日通不動産社長。

沢村、合田とは高松高商の同期卒業。

合田正明(高商8回)日本通運常務。

原島克孝(高商9回)大日本製薬(現・大日本住友製薬) 副社長。

土方三郎(高商9回)日東電工社長、会長。

小津正次郎(高商10回)阪神タイガース球団社長兼阪神電鉄専務取締役。

三重の旧制津中学(現・津高校)から高松高商卒業。高商、阪神電鉄では野球部に所属し、阪神タイガース球団結成に立ち会う。生え抜きの実力球団社長として豪腕を発揮、関西マスコミから「オズの魔法使い」と呼ばれる。

大社義規(高商11回)日本ハム 社長兼会長、日本ハムファイターズ 球団オーナー。

旧制高松中学(現・高松高校)から生家没落で学業を中断し高松高商を中退。その後、一代で一兆円企業日本ハムを作り上げる。野球好きとして知られ、取引銀行の反対を押し切りプロ野球日拓フライヤーズ球団を買収して日本ハムファイターズ を創立、初代オーナーとなる。愛用した「背番号100」は北海道日本ハムファイターズ 唯一の永久欠番。

宮武康夫(高商11回)安田火災海上保険(現在の損保ジャパン )社長

桑田弘司(高商12回)五洋建設副社長、富士銀行(現・みずほ銀行 )常務。

中川幸次(高商15回)野村総研社長、日本銀行理事。

※高松高商卒業後、東京商科大 進学。
片山温三(高商16回)神栄社長、会長。

山下  秀(高商16回)住友石油開発社長、住友商事副社長。

※高松高商卒業後、東京商科大進学。

川田史郎(高商18回)日本コロムビア(現在のコロムビアミュージックエンタテインメント )会長、日立製作所 副社長。

江崎敏美(経専21回)横浜冷凍社長、会長 。

松浦良行(経専21回)天満屋ストア 代表取締役支配人、サンマルク 監査役。

安藤  清(経専21回)大成建設副社長 。

伴  章二(経専22回)豊田合成 社長、会長 。

濱田庄平(経専22回)ニッパツ社長、会長。

梶本敏夫(経専22回)阿波銀行副頭取。

太田三治(経専22回)㈱丸紅副社長。

川井顕作(高商23回)香川相互銀行(現在の香川銀行 )社長。

新谷守男(経専23回)サンマルク会長。

大林一友(経専24回)香川銀行頭取、会長。

有田英世 (経専24回)資生堂開発社長、資生堂 本社総務担当常務、取締役社長室長。

入谷拓次郎(経専25回)SHKライングループ(新日本海フェリー、阪九フェリー、関光汽船)オーナー。父親は日本の長距離フェリー事業の創始者として有名な入谷豊州。

橋本  昭(経専25回)ジャストシステム会長 。