農学部

 

農学部全景


農学部の源流は1903年、高松市郊外の池戸八幡神社の境内で開校した香川県木田郡立乙種農業学校である。戦時体制のなかでこの学校は県立農業専門学校に昇格し、戦後は香川県立農科大学となった。

発足当時、国立の香川大学には学芸学部と経済学部のふたつの学部しかなかった。このため、3つめの学部として理系の県立農科大学を香川大学に統合しようという運動が沸き起こった。農科大学側も、公立大学であるがために研究費等で国立大学に比べて不利を感じていたのでこれを歓迎し、1955年(昭和30年)に香川大学に編入された。校地は高松市の中心街から東南に10キロあまりの香川県木田郡池戸の地にあるが、この校地は旧制香川県立農林学校以来変わっていない。

 

最近の農学部のトレンドは稀少糖研究ということになろう。

 

稀少糖とは、自然界に微量しか存在しない単糖のことである。 香川大学の何森(いずもり)教授(農学部教授、現・希少糖研究センター長)による新規酵素の発見により、天然型単糖からの希少糖の生産が可能となった。

自然界ではグラムあたり数万円という貴重品だが、たまたま農学部キャンパスで採取した土に偶然に含まれていた微生物がこの稀少糖を安価につくる特性を持っていることが判明したのである。

江戸時代から香川県、すなわち讃岐の国では特産品について「讃岐三白」という呼び方をしてきた。すなわち、砂糖、綿、塩である。

このうち綿と塩はすたれてしまったが、東讃地方の和三盆糖は和菓子の原料として根強いファンをもつ。香川大学生協の「お土産品」として、地元引田の三谷精糖の和三盆の詰め合わせは学生に人気である。稀少糖研究もまた、その伝統の延長線上にあるといえないだろうか。

まだ、稀少糖そのものの特性が研究途上にあるため(以前はあまりに高価なため試験に使えなかったため)、何に役立つのか、研究はようやく途上に着いたところだが、国立大学そのものが独立行政法人化したため、研究についても早めの成果を求められる傾向にある。周囲の期待に応える成果というプレッシャーはこれからが本番である。

 

☆なお、農学部の稀少糖研究については、地元の四国新聞がかつて「シリーズ 追跡」のなかで取り上げている。下にリンク先を貼り付けておくので、農学部志願者の学生は一読されることをおすすめする。

 

 

http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/126/index.htm