Mr. Short Storyです。

 今回も銀河英雄伝説について解説していきます。

 前回は、ヤンはなぜラインハルトをあと一歩まで追いつめたのに、同盟政府の停戦命令に従い戦闘を止めたのかについて考察しました。

 

 

 そしてそれは、彼が民主国家が腐敗や堕落によって滅亡するのは、有権者である市民全員の責任であり、それを一部、もしくはたった1人の聖人や英雄に全てを任せて服従する事で、難を逃れようとするのは間違いであると言う考えを抱いていたからであると結論しました。

 自由惑星同盟は、アムリッツァ会戦の大敗北により滅亡がほぼ確定しましたが、その無謀な作戦も、もともとは市民達の支持によって行われたものであり、それ以前に政治は衆愚化し、民主主義は自浄能力を失っていました。

 

 

 自分は同盟の市民、そして軍人としてベストを尽くす。

 

 民主主義の存続のため、自分の人生を捧げるのもやぶさかではない。

 だが、民主国家である以上、有権者達の怠慢や無責任により引き起こされた災難は、何人たりとて1人でしょい込むべきものではないし、それは、全ての市民が努力と英知を積み重ねる事以外、本質的な解決は決してできない。

 これがヤンの考えだったのです。

 

※この記事の動画版

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バーミリオン会戦始末記

 仮に自分が同盟と言う国家を救うため、政府の命令を無視してラインハルトを殺し、市民達の絶対的支持と崇拝を得るような事になれば、国は存続しても、その瞬間に民主主義は死に絶える。
 
 

 この時点でヤンは、一国家よりも民主主義を存続させる事を選択しており、今までにも増して、民主主義の理念を守る存在になった事が明確化されています。

 のみならず彼は、帝国から亡命して客将になっていたメルカッツ達に生き残った艦隊の一部を預けて脱出させ、後々の布石となします。 
 
 

 同盟政府の承認を経ない独断での措置であり、これが後々対帝国戦で活かされる事となります。

 アルテミスの首飾り破壊とメルカッツ艦隊の隠蔽に関しては完全な独断、逆に停戦命令受諾は政府への服従と一見矛盾しているようですが、いずれも民主主義を擁護するための行いであった点では一貫しています。
 
 
 

名将祖国に裏切られる

 さて、バーミリオンを経て同盟が帝国に降伏後、ヤンは軍を引退し、副官のフレデリカ・グリーンヒルと結婚。

 

 

 憧れの年金生活に入ります。

 ですが、その彼を虎視眈々と狙う人物がいました。

 それがかつてヤンに二度も破れたヘルムート・レンネンカンプです。

 

 

 同盟駐在高等弁務官となった彼はオーベルシュタインにけしかけられ、また、汚名挽回の機会を狙い、ヤンを拘束しこちらに引き渡すよう同盟政府に圧力をかけます。

 

 これに対し、トリューニヒトに代わって国家元首となったジョアン・レベロは、同盟を守るためヤンの身柄を拘束し、帝国に言質を与えぬよう始末してしまおうと企みます。

 

 

 この時点でヤンは祖国に裏切られ、危うく殺されるところだったのです。

 ですが、ローゼンリッター始めヤンの部下達の活躍で彼は救出され、ジョアン・レベロとレンネンカンプに逆襲し、捕らえられたレンネンカンプは自殺。

 

 レベロは後に保身を図る軍幹部によって殺害されました。

 こうしてハイネセンを脱出したヤンは、同盟の市民、そして正規の軍人であるのを止め、独立軍閥の主と化してしまったのです。

 

 

 

同盟最後の元首

 ヤン・ウェンリーは作中最も歴史に造詣が深く、それ以上に民主主義に精通していました。

 長期間に渡る帝国との戦争で疲弊し、次第に衆愚化し、国家主義化が進行する自由惑星同盟において、だから彼は異端児であり、時の上官や為政者から睨まれ、圧力をかけられたのも一度ならずありました。

 

 

 帝国の圧力をかわすべくヤンを捕らえようとした同盟元首ジョアン・レベロは、トリューニヒトなどと比べればはるかに清廉な政治家で、同盟存続に使命感を燃やしてたのも事実です。

 彼がヤンを捕らえようとしたのは個人的理由ではなく、帝国との衝突を避け、祖国を守りぬくためだったのは間違いありません。

 そして、その思いをヤンも共有し、潔く命を差し出してくれると期待していたのも明らかでした。

 

 

 

 

 

ヤンの反撃

 ところが、彼とレンネンカンプの陰謀を知ったヤンは、可能な限り抵抗します。

 

 そして、自分を救出すべく部下達が同盟政府を敵に回し戦うのを否定するどころか、彼らとともに祖国を捨て、反逆に等しい行為をおかす事を厭いませんでした。

 

 

 少なくともレベロの目にはそう映ったでしょう。

 ヤン・ウェンリー抹殺計画は最悪な結果となり、皇帝ラインハルトによる全面進攻を招き、自由惑星同盟は完全に滅亡してしまいます。

 

 

 もしもヤンが大人しく命を差し出せば、少なくともしばらくの間、同盟は生きながらえたでしょう。

 それを祖国を投げ捨てて自分の命だけ優先するとは何事だ。

 彼の逆襲を食らったレベロはこう思ったに違いありません。

 

 

 

ヤンの国家観

 ヤンは最後まで全体主義とは無縁であったのは事実です。

 ですが、レベロ達に命を狙われた時、彼が国家より自分を優先したのには、ヤンならではの明確な根拠がありました。

 ヤンが民主主義を深く理解し、反対に国家とは市民達が便利に生きるための道具に過ぎないとみなしていたのは、これまでの記事で何度か触れて来ました。

 そして、民主国家がその理念をかなぐり捨て、市民達の権利を奪い、弾圧する側に回る時、少なくとも彼はそれに対して果敢に抵抗し、相手がいかなる大義名分を持ち出しても応じる様子を見せないのは、救国軍事会議の面々や、査問会でトリューニヒト派の政治家達を相手にしたときに証明されています。

 

 

 そして、それまで彼が守って来た自由惑星同盟が、その存続のために彼の抹殺を謀っていると知った時、ヤンは反逆し、彼のために反乱行為を犯した部下達を率いて祖国を捨てる事にためらいは見せませんでした。

 

 

 これまで命がけで守って来た祖国に裏切られた事への落胆と失望、そして怒りもあったでしょう。

 ですが、やはりヤンは、民主国家とは市民の生命・人権・安全を守るべきものであり、仮に市民を逮捕拘束するにせよ、それは正当な手続きを経て、憲法などによって保障された権利を守った上でなければならないと明確に意識していたのは間違いありません。

 

 

 

市民として

 

 その反面、ヤンはトリューニヒト一味が仕掛けた査問会には応じました。

 そこで激しい舌戦を繰り広げはしましたが、それは目的はなんであれ、正式な出頭命令により行われたからです。

 

 

 

 実際には、この査問会自体法的根拠の極めて怪しい代物でしたが、それでも文民政権の命令に、彼は一軍人として律儀に従っています。

 反面彼は、反戦者を弾圧する憂国騎士団の襲撃には直ちに応戦し、彼等を弁護する者を激しく責めています。

 

 
 
 また、財政事情の悪化から、政府の決定により自分の年金が減額されると知った時は、仕方がないと受け入れています。

 これらの言動から、彼は民主国家がそのルールを順守している間は、市民としてそれを尊重し、それを無視して暴力的な弾圧が行われるときは率先して抵抗しているのが分かります。

 

 

 

ヤンの行動原理

  ジョアン・レベロが同盟存続に執着し、法治国家のルールも市民の権利も無視して暴走した時、ヤンの目からすれば、自由惑星同盟の民主主義は滅んだと映ったのでしょう。

 だからこそ彼は、国よりも自分の命を、そして民主主義そのものを守る決断をした。

 

 

 そしてそこには、仮に国家が正当な理由も手続きもなく、市民達の権利をはく奪し弾圧しようとするときには、市民達は、自分の生存や権利を守るため抵抗するのも辞すべきではないという、アグレッシブな民主主義思想が見え隠れします。

 つまりヤンは、国家機構が個人としての自分を犠牲にすることで利益や存続を確保しようと暴走したので、一市民としての最低限の権利をまもるべく、実力行使も辞さなかった。

 市民達はその生存と幸福のために国家を作る主体者なのであって、決してその付属物ではない。

 

 

 国家とはそのための手段なのであって、こう言った理念と健全な精神のよりどころとなるのが民主主義である。

 

 

 こう言った考えの下同盟を守り、トリューニヒトなどの嫌がらせにも耐え、自分が独裁権力を握るのを拒み、そして自分を殺そうとした祖国を見捨て、自分の身柄を優先した。

 実に一貫した考えの下に動いているのが分かります。

 

 

 

袂を分かつ

 ですが、既に衆愚政治に堕して久しい自由惑星同盟には、こう言った理念を共有する者はおらず、長年の戦争で国家主義、全体主義、そして救国軍事会議に代表される軍国化により民主主義は瀕死の状態にありました。

 

 

 だからこそラインハルトにより再生した銀河帝国に敗れ、良識派とされていたジョアン・レベロでさえ、国難に応じて個人が犠牲になるのは当然であるとの考えに取り付かれ暴走してしまうのです。

 

 

 ヤンは自由惑星同盟を見捨てました。

 ですがそれも、民主主義の理念を後世に残すためであり、彼に取ってそれは、人類が幸福に生きていくための道しるべだったのでしょう。

 究極の選択を迫られてためらいもなくこういう決断を下せる彼は、ある意味ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムよりも恐ろしい人物なのかもしれません。