Mr. Short Storyです。

 今回も銀河英雄伝説について考察したいと思います。

 前回はオーベルシュタインについて詳しく述べました。

 そして彼は、ヴェスターラント熱核攻撃の黙殺とキルヒアイスの死について責任を負わされると言う最大の窮地にあった事を解説しました。 

 

 本来ならば、ラインハルト始め諸提督達に始末されてもおかしくない筈だったのに、ここでオーベルシュタインは、大貴族相手に共闘していた宰相リヒテンラーデ公をラインハルト暗殺未遂の首謀者に仕立て上げ、先手を打って彼を排除し、一挙に国政の大権を奪うよう提督達に使嗾すると言う離れ業を演じます。

 

 

 

 これによりオーベルシュタインは危険を回避するのみならず、事実上の反乱を共有した提督達始め、ラインハルトですら容易に手を出せない存在となり、やがてローエングラム王朝屈指の重臣として不動の地位を築き上げます。

 

 

 
 さて、今回は同盟側の主人公、ヤン・ウェンリーについて考察したいと思います。

 彼は、あのラインハルトがついに最後まで勝てなかった不敗の名将として、軍事的には作中最強の実力を示しましたが、同時に、彼が多くの登場人物の中でも独自の哲学と思想体系を有する稀有な人物であり、言動の端々にその考えが描写されているのは良く知られています。

 

 

 ですが、彼は最初から英雄であったわけではありません。

 それどころか、彼が軍に入り、エル・ファシルの英雄となった時も、アスターテで初めてラインハルトと直接対決した時ですら、彼はあくまでも同盟の一軍人、そして、不本意ながら軍に入隊し、一日でも早い引退と年金暮らしを夢見る、ある意味平凡な青年に過ぎなかったのです。

 

※この記事の動画版

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「歴史」以前のヤン

 彼は同盟軍に入隊すると、エル・ファシルを皮切りに戦功を立て、同盟軍でも数少ない20代の将官となっていました。

 

 

 それ以降もアスターテで同盟軍を全滅から救い、不可能と言われたイゼルローン攻略を成し遂げ、そしてアムリッツァ会戦でも全軍大敗北の中、味方を救いつつ生き残ります。

 

 

 この時点ですでに、彼は同盟で並ぶものなき名声を確立し、不敗の名将・同盟軍最高の知将などと呼ばれるようになります。

 ですが、実はここに至ってもまだ、ヤンはその歴史的使命を担う存在ではありませんでした。

 確かに彼は敗勢にある同盟軍の中で一人気を吐き活躍し続けます。
 
 しかしそれはあくまでも一軍人、一人の司令官としてのものだったのです。

 

 

 

訪れるプロセス

 例え非凡でも、彼はまだラインハルトのように歴史を動かし、時代を切り開く象徴的存在などにはなってないし、それを望みもしていなかったと言えます。

 イゼルローン攻略作戦の時、彼はこの作戦によって数十年の平和がもたらされれば良いと、普通の軍人とはかけ離れた考えを見せてはいますが、それもあくまで同盟の軍隊組織に仕える一個人の枠を逸脱するものではありませんでした。

 

 

 その彼が否応なく歴史的使命を与えられ、いわゆる英雄として脱皮するきっかけとなったのが、救国軍事会議が引き起こした内乱でした。

 

 

 

国家か民主主義か

 ヤンは救国軍事会議に加わった第十一艦隊を撃破すると、彼らが占拠する首都星ハイネセンへ進撃します。

 

 
 

 そのハイネセンは、アルテミスの首飾りと言う十二個の軍事衛星を中心とした防衛システムで強力に守られていました。

 

 

 例え艦隊を失っても、救国軍事会議側はこのシステムを頼りに抵抗を継続する事が出来たのです。

 そこでヤンは、光速にまで加速させた巨大な氷塊を全ての戦闘衛星にぶつける事で破壊してしまう作戦を立てます。

 

 

 そして彼の目論見通り、アルテミスの首飾りは一気に壊滅し、最後の手立てを失った救国軍事会議は崩壊。

 

 ヤンはハイネセンと、そして自由惑星同盟を開放するのです。

 

 

 

民主主義の守り手

 こうしてみると、名将ヤン・ウェンリーがまたしても鮮やかな手腕を示したエピソードのように思えます。

 ですが、実はこの時点で、彼は同盟軍の一名将から民主主義の擁護者として、いわば歴史的存在に脱皮を遂げたのだと私は考えます。

 ヤンは、アルテミスの首飾りを攻撃する時、ためらいもなく全てを破壊する事を決断しました。

 

 
 

 また、彼はもともと正式には、救国軍事会議が陽動として引き起こした、地方星系での動乱を鎮圧する命令しか受け取っていませんでした。

 

 

 それでも、これある事を予測して、彼は宇宙艦隊司令長官アレクサンドル・ビュコックに頼んで、反乱を鎮圧し法秩序を回復する命令書を内々に得てはいましたが、実は、アルテミスの首飾りを破壊する命令まではもらっておらず、これは完全に独断で行われたのです。

 アルテミスの首飾りは、同盟首都を守る重要な防衛システムであり、本来なら、侵略者の攻撃から市民達を守るためにあるものでした。

 それを全て破壊するのですから、見方によっては市民達の守り手を消滅させる事を意味するのです。

 

 

 

個人から英雄へ

 アルテミスの首飾りを独断で破壊する事を決断した時点で、ヤンは、それまでの同盟の一軍人を自ら止めたと言えます。

 そうです。

 ちょうどヴェスターラント核攻撃から民衆を見捨てる事で、それまでの野心家、姉を奪った皇帝や帝国に対する復讐者である事を止め、混乱と分裂のさなかにある人類宇宙に平和と統一をもたらす歴史的存在に生まれ変わったラインハルト・フォン・ローエングラムと同じプロセスが、時を同じくしてヤンにも訪れていたのです。

 ヤンはこれにより、自ら民主主義の守り手として歴史的英雄になる道を選びました。

 救国軍事会議のコントロール下に置かれたアルテミスの首飾りは、同盟と言う国家と自分たちの存続のために市民を弾圧し、そして犠牲にする民主主義の破壊者と言うべき存在になりさがっていました。

 

 

 既に同盟は弱体化しており、これを全て破壊する事は軍事的には大きな損失でしたが、だからこそヤンは、ためらいもなく一つ残らず消し去る事を命じたのです。

 救国軍事会議は、崩壊寸前にある自由惑星同盟を救い、復興する事を大義名分として結成され、権力を握りました。

 

 

 ですが、彼らが守ろうとしたのは、同盟と言う国家機構であり、それが建国された目的である、民主主義ではありませんでした。

 

 

 

国家は市民のための道具に過ぎない

 これに対して、ヤン・ウェンリーは、民主主義の存続のためにそ国家はあるべきであり、その理念に反したら、例え国家を守るものであっても容赦なく破壊するという強烈な考えをここでしめしているのです。

 

 

 事実彼は、国家や権力とは人々が生きるための道具や手段に過ぎず、それを神格化し、そこに属す人々に無制限の犠牲と服従を強いるのは本末転倒だという考えを、一度ならず口にしています。

 それは極論すれば、民主主義を守るために建国された国家は、いかなる理由をもってしてもその理念に反し、それを否定、破壊する事は認められず、もしそうなった場合、少なくとも民主国家の市民としての資格を持つものはそれに抵抗して倒しても良いという、かなりアグレッシブな論理に至ります。

 

 

 つまり、ヤンは国家と民主主義なら民主主義をためらいもなく選ぶべきと考えていたと、この行いでうかがえるのです。

 

 

 

物語随一の思想家

  ヤン・ウェンリーは、以後も大筋この思想によって行動したと言えます。

 彼にしてみれば、民主国家とは民主主義を実現すべき手段であり、しかも、それを維持し責任を持つのは有権者である市民達であり、だからこそ、一部の政治家や権力者がそれを私有し独占する事は許せず、市民達が彼らに対して無批判に自分たちの権力を与える事はもっと許せなかったのです。

 

 
 

 物語の登場人物のなかで、彼ほど民主主義を理解していた人間はいなかったでしょうし、そしてその存続のために尽力を惜しまなかった人間も、極一部を除いて存在しませんでした。

 彼は作中随一の軍略家として帝国軍の名だたる提督達を次々と撃ち破っていますが、その神髄は、深い歴史哲学と民主主義思想に裏付けられた強靭な精神にこそあったのでしょう。

 

 

 

脱皮する両英雄

 だからこそラインハルト・フォン・ローエングラムは最後まで彼に勝てなかった。

 ヤンに勝つためには、その強烈かつ厳格な思想を理解し、共有しなければならなかったでしょうから、直接会う機会が生涯に一度しかなかった彼が、最後までヤンを倒す事が出来なかったのはしごく当然だったのではないでしょうか。

 

 

 救国軍事会議により支配された時の自由惑星同盟は、軍事力によって自らを守り、暴力によって市民を弾圧する存在になり果てました。

 

 

 その象徴と化したアルテミルの首飾りの破壊こそ、ヤンがただの軍人、もしくは一人の名将から民主主義の擁護者へと脱皮した瞬間であり、ヴェスターラント核攻撃で民衆を見捨てたラインハルトが、歴史に統一と加速をもたらす存在へと進化したのが同じ原作第二巻で語られているのは、驚くべき一致だと言えます。

 こう言った本物の歴史顔負けの描写こそ、この作品を長年の時を経ても色あせない名作たらしめた大きな要因なのでしょう。