テレハラというバカハラ | 人生ゆっくりと今を生きる ~Lives Life No Matter

人生ゆっくりと今を生きる ~Lives Life No Matter

ガンになって死というものと向き合った。
人間である限り、遅かれ早かれ平等に訪れるもの。
幸福か不幸か関係なく、物理現実の先にあるもの。
終わりを見据えて、今生が老後だと答えが出た
そんな一片の備忘録

なんでもかんでもハラスメントと名付けて

すぐ被害者を主張する時代になっている

 

正当性のあるハラスメントなら主張しても総意は納得するだろうが

なんでもかんでも根拠もなくブラック企業という人のように

被害を受けたと主張して、自分の義務も果たさず

権利だけ主張しているように聞こえてしまう、そんな風に聞こえてしまう

 

テレハラという新入社員が電話に出ないといけないという風習に異を唱えているらしいが

ただ単にやりたくないからおかしいという風にきこえる

多くの場合が、これだけやっているんだ、こんな仕打ちを受けているんだ、という被害者を主張して

共感してほしいというよくわからない承認欲求のようにしか聞こえない

中にはホンモノのテレハラもあるだろうが

 

とはいえ、世間の人々全てがまっとうな人とは限らない

一定数おかしな人がいるのは事実である

いくら正義を主張しても、全てを支配できるわけではない

 

そもそも正義も世代や集団によって違うし、よく対立するものだ

外に出ると、稀にきちがいと遭遇してしまうものだ、これは確率だ

残念ながらこれは不可避である

 

問題はきちがいと遭遇したときにどう処理するか、ということだ

きちがいにも生きる権利があり、住む世界がある

自分にも同じように住む世界があり、幸せに生きる権利がある

ならば関わらないように生きるという方法もとれる

 

どうしても関わらないといけないなら、それを最低限にするという手段もあるはずだ

 

自分の正義を一貫して貫き、合わないならさっさと立ち去るという手段もある

 

どうせ人生は終焉がある、そして人の時間は有限である

僕のように余生は老後でダラダラ浪費していても

それでも関わりたくないものもあるし、関わらなくてよいものとは関わらないという

選択肢をとる権利がある

あえてこれをバカハラと呼ぶが

決してこのバカハラに被害者意識に侵されてはならない

例え老後であっても、選ぶ権利くらいあるから