君と愛しむ | ZERO 「不都合な…」

ZERO 「不都合な…」

イザ!で不都合な…というブロガーだったZEROです。
不都合な真実であろう事柄を気まぐれに綴っていく。

御譲位が決まった平成29年の夏。島に両陛下がおいでになると言う噂が流れ「まさかこんな島に」「お泊まり頂けるような宿ないでしょ」「ご覧頂けるものなんてあったっけ?」最初はそんな反応だった島の空気が、あちこち道の工事が始まり、植栽に駆り出され…


https://twitter.com/chamiyasue/status/1281475710071173120?s=21


行幸敬の10日ほど前には島中の宿泊施設が警備の警察の皆さんで一杯になり、それでも足りず、公民館や体育館で雑魚寝される警官の皆さんも多数。厳戒態勢の中、前々日に突然工事車両が爆発炎上した時の、あの緊張感!何台もの警察車両と100人以上の警察官が一斉に急行!原因は作業員の不注意でした💦


警備の都合上お手振りの場所は指定されていて、地区毎に時間や場所の指示も有りました。中には「そんなものには行かない」と鼻で笑う人もいましたが、学校では皇室の歴史についての授業が行われたり、歓迎の歌や三線を練習したり、多くの島民がわくわくしながら両陛下を待ち侘びていました。


行幸敬初日。指定場所では2時間ほど前から道側にカラーコーンとバーがしかれ、警察官がお手振りの際の注意事項を拡声器で説明。中には話し上手なお巡りさんもいて、ジョークを交えて場を和ませたりしていた方もおられました。



御料車到着到着5分前になると、人垣と道路を隔てたコーンバーが一斉に取り外されます。警察官の説明では、出来る限り国民との間の隔たりを取り払って欲しいという陛下のご意志だとのことでした。



御料車の車列が見えると、人垣から一斉に歓声が起こります。人垣の5メートルほど手前で、まるで魔法がかかったようにスーッと車列が減速。群衆に近い側には常に皇后陛下が、その奥から身を乗り出すように天皇陛下が、限りなくお優しい笑顔でお手振り下さっています。



二日目は生憎の大雨。到着した御料車の窓は、まるで当然のように全開で、沿道で傘をさして待つ私達をまるで気遣ってくださっているようにお手振り下さる両陛下からは、ご自身が濡れる事への心配など微塵も感じられませんでした。



三日目。最終日。空港に向かわれる御料車の車窓の皇后陛下の御顔を見て息を飲みました。笑っておられないのです。まるで別れを惜しむ島民の心を映して下さっているかのように。




天皇皇后両陛下のお心遣いやお気持ちが文章からも感じ取れてなにかあたたかい気持ちになれました。

ありきたりな感想ではありますが、日本に生まれ育てて本当に良かったと改めて実感出来ました。



50年ほど前の小学低学年だった時、学校から皆と歩いて最寄りの駅へ。

昭和天皇陛下と香淳皇后陛下のお召し列車の通過を日の丸の小旗を振ってお出迎えしました。

僅か2秒程度の瞬間ながら、今も両陛下が車窓から手を振って下さったことは鮮明な記憶です。



尊いと言う言葉は

このために

あるのですね


この国を美しい国のままに子々孫々に渡すのが我々の責任ですね。