再録⑤ | 東都音大付属シリーズ

東都音大付属シリーズ

東都音大付属高校を舞台にした学園小説シリーズ。
BL含んだ恋愛物中心です。
(Hなものではありませんので、ご安心を……)

その頃、飛鳥と葉助と別れた候二は、携帯電話で誰かに電話をしていた。

「あ、もしもし。桜井だけど」

【あぁ。何?】

 若い男、恐らく候二と同じ高校生くらいの声だった。

「学コンの練習のことなんだけど、これから打ち合わせしたいんだけど」

【あぁ。別にいいけど……。まだ学校?】

「うん。自転車置き場にいる」

【じゃあ、俺の部屋に来いよ。寮にいるから】

「分かった。すぐに行く」

 そう言って電話を切った。どうやら相手は寮生のようだ。

 候二は自転車置き場からは対角線上にある、男子寮に向かった。グランドは運動部が使っていて通り抜けることができないので、南棟と女子寮、体育館の裏を自転車で抜けた。生徒であれば寮生でなくても、寮に入ることはできるが、宿泊には許可がいるし、異性の寮にはもちろん入れない。

 候二は男子寮用の自転車置き場に赤い自転車を停め、玄関から中に入った。目的の部屋は3階だ。何度か訪れたことがあるので場所は把握している。

 やや古い建物の中を歩く。アパートのような作りになっている寮の中は、まだ大方の生徒は帰ってきていないらしく、閑散としていた。『305』とプレートの付いた部屋の扉を叩く。

「はいよ~」

 声と同時にドアが開き、中から私服姿の少年が出てきた。音楽学生らしからぬ長髪と茶髪が目に入る。

「お茶買ってきた」

 候二は来る途中に食堂の自動販売機で買ったペットボトルを差し出した。

「お、気が利くじゃん」

 部屋の主と思わしき人物は、ペットボトルを受け取り、候二を中に招き入れた。

「お邪魔します」

 学生寮は完全個室になっていて、簡易だが防音仕様になっている。消灯時間である23時までなら、練習をすることも可能だ。部屋はどれも8畳ほどの広さで、作り付けの棚とクローゼットがあり、勉強机とベッドが備えられている。それ以外に家電や家具を持ち込むことも出来る。トイレと風呂は各階にあり、食堂は1階にある。食堂の隣りには給湯室があり、電子レンジや簡易的なキッチンが備わっているので、自炊も可能だ。共同の冷蔵庫も設置してあるが、下手に食べ物を入れておくと、知らぬ間になくなっていることもあるので、あまり使われてはいない。高校生の暮らす寮としては、中々に快適な環境だと言える。

「で、学コンの日程はどうだっけ?」

 部屋の窓辺に置かれたベッドに座り、候二からの差し入れをさっそく一口頂いてから、要件を訊いた。

「二次試験は14日から17日の4日間。俺は14日の予定。さっき高野に確認した。佐藤は出ないんだよな?」

「あぁ。今年はパス。絶対無理だし」

 佐藤と呼ばれた少年は、ベッドに転がった。

 彼の名前は佐藤隆弘。候二と同じ東都音大付属高校男子部の1年生だ。学科はピアノ科である。候二とは学科は違うが同じクラスで、生徒会役員でもある。ゆえにクラスでも比較的仲は良いと言える。

「だから、お前の伴奏引き受けたんじゃん」

「そっか。そうだよな。自分もエントリーしてたら他人の伴奏なんてやってらんないもんな」

 候二も自分で買ってきたペットボトルの紅茶を飲みながら、床に置かれたクッションを抱えて座っている。この部屋には何度か訪れているので、居心地は悪くない。

 学コンでは、ピアノや和楽器以外の楽器や声楽の生徒の出場の場合、伴奏者をつけることができる。この学校の生徒であることが条件となるので、人数は限られるし、本人が学コンに出場する場合は両立を強いられるので、断る生徒もいる。もちろん、伴奏なしや、テープでの代用も可能だが、生のピアノ伴奏があるほうが審査員からの評価は上がりやすい。

 演奏する曲は各自の自由となるが、自作の曲は認められていない。

 候二は今回の学コンでカール・ライネッケ作曲の『フルートとピアノのためのソナタ ホ短調・ウンディーネ』を演奏する。フルートのソナタの中では比較的有名な曲である。持ち時間は115分なので、20分の組曲の全楽章を演奏することはできない。候二は主題がはっきりした第1楽章と第4楽章を選んだ。

ピアノが必要なこの曲の伴奏者に隆弘を選んだのは、単純にピアノ科で一番仲が良かったからだ。もちろん、それなりの実力があることも分かっているからこその人選である。学科はともかく、実技の成績は悪くない。

学コンの募集が始まるとすぐに隆弘に伴奏の依頼をした。曲もすでに決めていたので、譜面を渡したらあっさり引き受けてくれたのだ。あまり深くは考えていなかったが、自分は出場するつもりがなかったからこそ、即答で了解してくれたのだろう。

「でも、二週間しかないのか」

 隆弘は腹筋の要領で起き上がり、ベッドの上にあぐらをかいた。

「そうなんだよ。生徒会の仕事もあるし、オケ部の練習もあるし、あんまり時間がないんだよな~」

「オケ部の練習は毎日?」

「いや、週4日。水曜と土日はない。学コン出る人多いから」

 成績優秀者が多く在籍しているオケ部は、当然学コン出場者は多い。一次予選はほぼ全員の生徒が出場するし、二次に進む生徒も半数近くに上る。それを考慮してのスケジュールである。

「そうなると、土日に集中して練習しかないか……。大丈夫?」

 カレンダーを見ながら、候二は隆弘に訊いた。候二が入賞すれば、伴奏者である隆弘の評価にも多少の影響はあるが、大学進学の優先枠に入れるわけではない。貴重な休日を潰してまで練習に付き合うメリットは少ない。それでなくとも、平日は授業や個人練習、生徒会などで忙しいのだから、休日くらいはゆっくり休むか遊びに出かけたりしたいだろう。

 だが、隆弘は気にするでもなく手帳の日付を確認しながらお茶を飲み、答えた。

「別にすることもないから良いけど。あ、その代わり昼飯はお前の奢りな」

 寮では朝食と夕食は寮費に含まれており食堂でのセルフサービスで支給されるが、昼食は平日・休日共に原則自腹となっている。平日は学食や購買が開いているが、土日は近所のコンビニやファーストフードで済ませる者がほとんどだ。

「了解。でも場所はどうしよう……。ピアノがある練習室取れるかな……」

 候二と同じように休日返上で練習に励む者は多い。平日は個人レッスンで練習室は大概埋まってしまうため、このような練習をするには休日の練習室を確保するしかないので、必然的に倍率は上がってしまう。2時間の枠は直ぐに埋まってしまう。

「難しいかもな~」

「……ウチでもいい?」

 候二の家にはアップライトのピアノがある。候二も姉の優理子も幼少期はピアノも習っていたのだ。夏休み中は姉の伴奏で練習をしていたのだが、本番が近いので本来の伴奏者である隆弘との練習が必要なのだ。

「……別に俺は良いけど。こっからだとバス?」

「うん。バス代は出すから。土日だと……泊まりでも大丈夫?」

「外泊申請出せば問題ないけど。親とか大丈夫なのかよ?」

「それは大丈夫。優理子の友達とかしょっちゅう来るから」

 優理子も学コンや、一般のコンクールの前などは、伴奏者が泊り込みで練習している。そのための客室も用意されている。桜井家の両親は、子供の音楽活動に対しては協力を惜しまないようだ。

「じゃあ、土曜の午前中から行くわ」

「ありがとう」

 候二は安心したようににっこりと笑った。

「それにしても、お前ってそんなに賞とかにこだわる奴だっけ?ヤケに力入ってんじゃん」

 入学してからの付き合いでしかないが、候二が賞や経歴、成績などに執着するタイプには思えなかった。中学時代からジュニアのコンクールなどで入賞暦はあるようだが、それを自慢することもなく、普段からもがむしゃらに練習している方でもない。だが、今回の学コンは何か特別な思いを感じる。

「こだわってるわけじゃないけど……。ちょっとね」

 候二は苦笑いのような表情を浮かべて、曖昧に答えた。こういう返事をする時は、いくら追及しても明確な答えは言わないことを、短い付き合いながらに把握していた。

「ふぅん……。別にいいけど」

 隆弘は再びベッドに転がり、天井を見上げた。一般的な部屋よりも天井が高いのは音響に配慮しての設計だ。防音素材を使用している壁と天井は薄いクリーム色で綺麗に塗られているが、柱などはその建物の年月を思わせる傷が残されたままだ。

「じゃあ、帰るね。お茶の残り飲んでいいよ」

「サンキュー……って、飲み残しじゃねーかよっ!!

 隆弘のノリ突っ込みに笑いながら、候二は部屋から出て行った。残された隆弘は、テーブルの上に置かれたペットボトルを眺めてため息をついた。考えてみれば、地元から上京してきてから、実家以外に外泊するのは初めてだった。仲の良い友達はほとんどが寮生だったせいもあるが、そもそもあまり社交的なほうでも行動的な性格でもない。休日は幽霊部員になりかけているバスケ部の練習に顔を出すか、1人で買い物に出かけるくらいしかすることがない。泊りがけで練習に付き合って、昼飯が出てくるならありがたいことだった。

【ありがとう】

 候二の笑顔が思い出される。初対面から愛想の良い奴だと思った。

 『桜井』と『佐藤』なので、出席番号順に座らされた入学初日の教室で、最初に話したのが候二だった。一瞬、女子が紛れ込んだのかと思ったが、制服も声も紛れもない男子生徒だった。それから何となく気が合って、一緒にいるようになった。生徒会もつられて入ったようなものだ。一緒にいたいと自然に思えた。

 学コンの伴奏を頼まれたときも、自分が学コンに出るか出ないかを考える前に了解していた。候二が真っ先に自分を選んでくれたのが嬉しくて。

「まずいだろ……」

 自分の気持ちを自覚したのはそのときだったのかも知れない。一次予選の練習のとき、練習室で二人きりになる度に心拍数が上がった。曲のテンポまで上がってしまわないようにするのが大変だった。今だって、わざと候二から離れたベッドに座っていた。理性を保つために。

「泊まり……」

 思わずあらぬ妄想が浮かんでしまう。思春期の男子なら仕方がないことではあるのだが、マセた中学生だった隆弘は年上の彼女がいたこともあり、その手のことで欲求不満になったことなどはないし、同姓相手に恋愛をしたこともない。今まで経験したことのない感情に戸惑っていた。

 テーブルの上に残された候二の飲み残しと、抱きしめていたクッションを眺めて、また大きなため息をついた。