大人の保健室 ~未成年の方は保護者同伴で~ -3ページ目

大人の保健室 ~未成年の方は保護者同伴で~

基本 下ネタ

たまに政治とか時事とか。

脈絡も何も無い 落書きです。


「御主人と 別れて頂けませんか。」


神妙であり且つ好戦的な面持ちで現れた女性は、年の頃

・・・33~35歳と思われるびっくりする程の美人。 

かなりその筋では有名なホステスだという事だった。


まだ高校生だった僕は当然その言葉を目の当たりにしなかったものの

玄関で見た美女がまさかそんな言葉をおかんに吐いた等とは

後におかんの口から聞いても、にわかには信じられなかった。


当時の親父が45歳。 まあ、まだまだ若いと言えば若い。

しかし、親父は既に男としての能力を失ってから10年以上経っていた為

親父が言うには、その女性との交わりは無かったという。


こればっかりは本人の申告を信じる以外には無い。

いくら血の繋がった親子だとは言え、流石にチェック出来るものでもないので。


身長158cm 体重70kg以上 のズングリ体型であった親父は

息子の自分から見て、「こんなおっさんの何がいいのか」

と思わずにはいられなかったし、何かの詐欺というか「騙されている」

としか思えなかったが、彼女はどうやら真剣だったらしい。


親父がいない時に単身乗り込んで来ておかんに直談判・・・。


いつもの様に仕事を終えて深酒をし、何も知らずに家に帰って来た

親父の顔色は見た事も無い程に青ざめて見えた。


親父は勃起不全(自己申告)である事から、同年代の男よりも

とにかく性的欲求が薄かったらしく、スナックやラウンジ等に

ほぼ毎日通っては大騒ぎするくせに 変に真っ直ぐ帰る事で、

ホステス等からは「クール」であり「良き夫」に見えていたらしい。


これはずっと後になってその彼女から直接聞いた話なので間違い無い。


しかし、その実 家庭は崩壊直前であり クールでもなんでもない

ただのインポテンツだとは全くもって気付かなかったという・・・。


女の執念というのは恐ろしいもので、「早く離婚したい」が口癖だった

うちのおかんがその晩親父に夜の勤めを迫ったというのだから

何とも・・・

おぞましくも微笑ましくも おぞましい 女心というか・・・。

(ああ 気分が悪くなって寒気が・・・。)


親父の魅力があるとすれば、その社交性。

誰にでもとにかく冗談を言う。


そんなに面白くも無い冗談でも躊躇う事無く言う。

とにかく話す事が好きで、飲んでいても飲んでいなくても同じ調子で

とにかく「相手を笑わせたい」それしか考えていないような男だった。


そういう性格で多くの人間に好かれていた事は息子の僕から見ていても

良く分かったが、それでも僕はそんな親父の様な人間にはなりたくない

と思って育った。 (僕が口数少ないのはそのせいです)



親父は歌が好きでした。


プロの歌手なんかよりも間違い無く上手く、

息子の僕でさえ「なんや、この上手いおっさん」とびっくりする位の

喉自慢で、昔はそこら中の大会を荒らして周っていました。


引退しましたが、元相撲取りの魁皇(大関)後援会の余興で

一度歌ったところ気に入られ 、歌手と同じギャラをもらって

結婚披露宴で歌ったという逸話を持つのです。


その後何年間も、魁皇から暑中見舞い・年賀状が届くのを

何とも不思議な感覚で僕は見ていました。


とにかく親父は「口」で生きる男とでも言うのか、話す 或いは歌う

それさえあれば生きて行けるし、無ければ死んでしまうという様な人間

だったのが 今、目の前にいる冴えない顔をした医師の話によると

その二つの生き甲斐は親父から奪われたのだという事でした。


生き甲斐を失った親父が今後どう生きるのか想像がつかなかったし、

したくもない。

人の押す車椅子に乗ってただ「生きる」のだと医師は言う。

会話もせずに。勿論 歌いも 笑いもせずに。


植物状態とも少し違うのだそうだが、その違いは良く分からなかった。

と、言うよりも車椅子云々の話になってからは僕の脳が聞く事を拒み、

その症状の程度はもうどうでも良くなっていた。


とにかく もう親父は駄目なんだという事だけは分かり、

それで 十分だった。


冷静になって後々聞いた話では

親父が病院に運ばれた理由というのは脳の血管が破裂し、


脳内に血液が流れ込んだ為にあらゆる感覚が麻痺して倒れた為だそうで、

もうどうしようもない程に脳がやられているという事だった。


難しい事は良く分からなかったが、要するに人の話す言葉を聞いても

「音」にしか聞こえず、言語として理解する事は出来ないのだという。


時間が時間という事もあり、とにかく気持ちを落ち着かせて帰宅したが

その日は流石に涙を拭うばかりで眠る事など出来なかった。


死んで欲しくないという気持ちと裏腹に、今後言葉も発しない親父を

見る辛さ、もっとリアルな事を言えばそれを介護する自分を想像し、

翌日からは気持ちの奥底で「死んだ方がいいのではないか」という

邪な気持ちが浮かんでは消え、そう思う自分が愚かなのかそれとも

誰でもそう思うのか 誰かに聞いてみたかったが、そういう自分を

人前に晒す事も出来なかった。



親父は生粋の関西人だが、本当は江戸っ子なんじゃないかという位

「宵越しの金を持たない」男でもあった為、訳の分からん内に

数百万円使っては、何やら怪しい事にでも手を出しながらどうにか

どこからか稼いで来てはまた使うという 何とも逞しい男だったが、

父親としては最低の部類に入る男であった為に、おかんに対して

多少の同情の余地もあったものの、おかんはおかんでこれまた

最低の母・最低の妻であった為、 僕はこの二人を完全に

「反面教師」という目で幼い頃から見て育っていた。


「こうならない様にしよう」


「こんな嫁をもらわない様に気を付けよう」と、


二人の姿をじっと瞼に焼付けるよう見ていた。


親父は田舎ではまあまあ有名な土建屋の社長で、自分が設立した

小ぢんまりとした会社を株式会社にまで成長させた所までは良かった。


毎月うん千万円規模の収支があり、湯水の如くそれを酒に変え、

節制などという言葉とは全く無縁な生活を続け、一時は体重が

100kgにまで達したが、糖尿病を患った為 急激に痩せるという

最悪な状態で、死に向かって加速している事実は傍目にも分かった。



自分にはとことん甘く、子供にはとことん厳しい。

子供に小遣いも碌に与えず、自分は毎晩信じられない位の金を

競艇に突っ込んだりスナックを飲み歩く度に撒き散らして帰る。


自分は夜中まで遊んで帰るが、何故か子供の門限は 6時。


これは僕が高校を卒業するまで何故か守らされた為に、

僕は余り友達付き合いをしない、若干暗い性格に育った。


自分は100kgあって、歩いただけでハーハー言うのに、

何故か子供には毎朝5km程のロードワークを強要した。

風邪を引こうが雨が降ろうが。


仕事か何かが上手く行かずに機嫌悪く帰った日は訳も無く殴られ、

蹴られ、寝転がっては子供たち全員に「マッサージ」を強要する

傍若無人ぶりだった。


今思えば・・・何だったのかという目茶苦茶な事ばかり言っていたし、

よくぞ皆それを守ったものだと妙な感心をする。


クソ親父め いつか殴ってやると思って育った自分がまさか

親父の面倒を一人でみるとは・・・。 時の流れというものは恐ろしい。


あの威張り散らしていた親父がガリガリの体で息子に助けを求め、

あれ程親父を恨んでいた自分が親父を助けたいと思う。


家族の愛情など全く感じないそんな家庭に育ったのに、それでも

人間は意外に真っ当に育つのだと自分を見て感心する。(ははは。)




親父を大事にしたいと思った瞬間がたった一度だけあった。


親子として何十年も一緒に居てたった一度だけというのが、

回数としてどうなのかという疑問はあるが、たった一度だけ


「このおっさんが弱ったら助けてやろう」


と思ったのは 裁判所から出て二人で歩いている時だった。






何か暗いな・・・。

一体いつになったら笑えるようになるんだろうと


自問しながらの 第9話


もうすぐ親父の命日だった事を今思い出した。