人生のサプリメント日記

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読めば共感出来たり、救いになったり、また頑張ろうと思ってもらえる内容を発信していきます。

人生のサプリメント!あるとなんか調子が良い気がする。

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祝儀という暗黙の了解

結婚、出産、入学、卒業など、各節目では祝儀というお金が発生する。当たり前ではないが、お祝いする気持ちの一部としてお金を渡す事がある。


これには相場があって、調べれば誰でも情報を得る事が出来る。そうは言っても気持ちの面で相場よりも上の額を渡したい人、相場を高いと感じて額を下げる人もいるだろう。


祝儀というお金を自分のものとして考えると、扱い方としては間違い続ける事になる。お金というものはあくまでもツールである一方、生活していく上では必要なものでもある。


そんな祝儀を臨時収入として考えてしまうと、間違いに繋がってしまう可能性がある。あくまでも受け取るのは気持ちだけにするのが賢明である。なぜなら、いずれ渡す機会が来るからだ。


先に貰っていた場合、同額を渡すのが一般的とされている。その時の状況や関係性によって変動する事はあるかもしれないが、基本的には同じ額にする事がほとんどだ。


ありたい姿は循環

ここで問題となるのが、貰ったのに渡さないという人がいる事だ。これが先述した様に、自分のお金として捉えてしまった人がこれに当てはまる。


経験しなければ実感出来ないだろうが、節目のイベントでは大きなお金が出ていく事になる。そんな時に、祝儀という周りからのサポートがあるとものすごくありがたい。日常生活を維持したり、イベントそのものを心から楽しむ事が出来る。


それが終わればまた日常生活に戻る訳だが、日頃は自分達の収入で生活する事を基本としている為、そこに祝儀を当てにすることはないだろう。


何が言いたいかというと、そもそも祝儀は循環させるものであるという事。それが当たり前になれば必要な人が必要な時に使う事が出来るツールとなるのだ。


人生とお金

根底にこれらを理解していなければ、人生のあらゆる所でお金の扱いを間違える事にもなる。お金に価値がある訳ではなくて、その先に人が関わっている事を忘れてはならない。


本来。お金はお互いが支え合う為にある。誰かが独り占めをすれば誰かが辛い思いをするかもしれない。見えないからこそ理解して想像する事が大切となる。


祝儀だけに限らずお金のむこうに人がいるという事を、誰もが理解して行動出来れば世界はまた1つ平和に近づくのではないだろうか。まずは自分から。







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怒りという感情

『怒り』というとネガティブなイメージを持つのではないか。確かに怒りから犯罪へと発展するパターンがある以上、ポジティブな印象になる事は無いだろう。しかし、それは怒りの捉え方が動物的になっているからと言える。


怒りの感情は身の危険を感じた時や、自分に不利が働くと感じた時、思い通りにならない時など外側に向けて発せられる感情である。


そんな反応があるから、生き延びていける術を身に付ける事が出来る。反面、使い方を間違えれば人に危害を加えたり自分を傷付けてしまったりとマイナスに働いてしまう。そんな制御不能の反応を動物的な怒りという。


しかし人間には理性があり、考える力があるという前提でいうと、そんな感情をコントロールする事が出来ると言える。今回は人生において、やりたい事を見つける時に使いがちな『喜び』や『楽しい』という感情とは別に『怒り』を観察する事で見えてくるという事を伝えていく。


何に怒りを感じているか

これだけ便利になった世の中でも、自分にとっては満たされない事があるだろう。それが怒りとして出てくる事は無いだろうか。


例えば、世の中に自分のセンスに合う洋服が無いという事に怒りを感じたとしよう。一旦その怒りを自分に向けて受け止める。そして俯瞰してみよう。


私はファッションが好きだから怒りを感じているんだ。流行りではなく着たい服を着て生きたいんだ。もっとこんな洋服があったら良いと思っているんだ。自分だったらこんな服を着たいな。


他にも、ダイエット中にお菓子を食べたいと怒りを感じたとしよう。でも痩せたいから我慢する。でもストレスが溜まる。食べても太らないお菓子なんてあったらなと思う。


やりたい事は身近にある

洋服の話において、世の中に好みの物が無いなら作るしかない。誰かが作ってくれるのを待っていたら、それこそ怒りの感情が消える事はない。洋服が好きという感情に気付き、あったら良い物を想像するだけでワクワクするなら、それがあなたのやりたいかとでは無いだろうか。


ダイエット中でも食べれらるお菓子の話も同様で、世の中に無ければ作れば良い。自分が1から作ってみるのも良いし、得意な人にイメージを伝えて代わりに作ってもらうのも良いだろう。


こうして世の中が便利になってきたのは、先人達の怒りが反映していると考える。怒りから必要な物や仕組みを作り出し、現在の様に発展してきている。そしてこれからも発展していく。


今回はやりたい事を見つけるのに、怒りの感情がヒントを与えてくれるというお話でした。参考になれば嬉しいです。



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やりたい事が分からない

こういった悩みはよく聞く話だ。しかし、これは誰にも解決する事は出来ない。あなた自身の事であり、あなたしか正解は分からないからだ。


誰かの助言で動いてみても、そこでの違和感を誤魔化す事は出来ない。だから自分で決めて自分で覚悟を決めなければならない。覚悟が決まればどんな行動も正解にしていく本気さが生まれる。


やりたい事が分からないと悩むくらいだから、何か現状を変えたい気持ちがあるのだろう。やりたい事なんて考えていても見つからない。あなたの感覚が反応するものを片っ端から経験してみないと確信に変わるものは見えてこない。


考えても分からないのは当たり前、動き続けるから見えてくるし、感覚の変化に気付く事が出来る。難しい様でシンプルな話だ。一生そのままで良ければ変わらなければいい。それもあなたが選んだ正解なのだから。


どこか引っかかるなら探そう。そして動いてみよう。動く中で必ず変化していく。そして何かが見えてくる。動かない理由は今が安定しているからか。生活に困らなければ自分の本音はどうでもいいのか。


心の声を聞いてあげよう。そして自分に体験させてあげよう。いつからでも変われる。今この瞬間が1番若いのだから。


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  海外までの移動が貴重な体験となる

飛行機といえば時間厳守が印象的だ。フライト時間よりも前に全ての手続きを済ませて待機しておく必要がある。


時間にルーズな人間は飛行機に乗る事すら出来ない。初めてのフライトであれば、調べた情報の到着時間よりも前に到着する事をおすすめする。一度流れが分かったとしても、海外旅行となれば何かしら問題があるもの。それも含めて余裕を持って行動したい。


そして海外渡航となると荷物の中身をかなりシビアに見られる。最悪の場合を想定していると考えれば検査が厳しくなるのも理解出来るだろう。テロなんてあったら大変な事になる。これらを理解していれば、準備の仕方も変わってくるだろう。


  到着後も試練が待っている

フライトする事が出来て初の海外に到着したとしよう。次に待ち受けるのは入国審査である。


ここで怪しまれればかなりの時間を奪われる事になる。どんな質問が来るか想定した上でその国の言語を学んでおく必要がある。


機内でも困ったのではないだろうか。航空会社が外国であれぼ、機内アナウンスからCAとのやり取りもすべて外国語になる。これも良い体験になる。


様々な初体験を終え海外の地に足を踏み入れる。日本との違いを感じるだろう。気温も湿度も空気も雰囲気も全てが初めての感覚だ。周りを見渡してもそうそう日本人はいない。


  非日常を味わう

この環境を体験してほしい。慣れ親しんだ日本がどれだけ恵まれているか実感するだろう。人の雰囲気はどうだろうか。困った事があれぼ聞いてみよう。慣れない外国語がどれだけ伝わるかを試すのだ。


食事はその国の料理を体験してみよう。新たな好物が見つかるかもしれない。癖の強い食べ物もあるだろう。その国の人達の好む味を知るのもまた面白い。


飲料水だけは気を付けよう。お腹を下す最も身近な存在。日本の様に水道水をまともに飲める国はほぼ無いに等しい。ミネラルウォーターを購入しよう。この時、軟水、硬水の確認も忘れずに。


  全ての経験が自分の糧になる

海外旅行ともなれば、トラブルは付きものだ。命の危険に晒される以外は、全て良い思い出になる。人に話す事が出来るのも嬉しい。ぼったくられたり、盗難もあるかもしれない。困った事がうまく伝えられなくて悔しい思いをするかもしれない。


そんな一つ一つを楽しみながら経験していくのだ。10年後、自分の対応力が変わってくる。それは人を惹きつける力にもなる。20代での経験不足は、30代での行動に影響してくる。年齢を言い訳にあらゆる事から逃げる事が当たり前になるだろう。


あの時に未知なる挑戦をしなかった事で、その先の幸福には一生気付く事が出来ないかもしれない。定年を迎えてから老後の楽しみに取っておくなんて事を言っていたら、後悔するのは目に見えている。


なぜなら心を維持出来ても、身体は全く別物になっているからだ。これがよく聞く年齢を重ねた人間の後悔するポイントだ。今からでも良い。若ければ若い程いいのだ。お金の問題は自分から作っているだけだ。方法はいくらでも情報として流れている。さぁ動き出そう。

だれかに教えたいこと

 

 

 

 

 

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結果は全て積み重ねでしかない

数ヶ月前に子供が生まれ、それに伴い育休を取得させてもらった。周囲の反応は、『遊び過ぎないように』『しっかり手伝えよ』『奥さんの機嫌を取る事』など、昭和の男が集まる職場だからと思わせる様な発言があった。


事情があって実家に頼る事が出来ない事もあり、奥さんへの負担が大き過ぎると考え、取得する事は必須と考えていた。周囲の声は子育てを女性任せにしてきた残念な男達からの無意味なアドバイスでしかない。


昔の風潮とはいえ、中には子育てをしてきた人もいるだろう。それでもこうした発言が出る事が恐ろしい。本当に任せっきりだったのだろう。


思考停止したまま生きているとそうなる。周りも同じだから自分は間違っていないと肯定するのだ。実際に子育てを1日中やってみれば分かる。任せっきりがどれだけひどい事なのか。


仕事で帰れないのは仕方がない。それでも定時になったらすぐに帰っているだろうか。帰ってからすぐに出来る事を進んでやっているだろうか。どんな1日だったか話を聞いてあげたりしているだろうか。労いや感謝の言葉を述べているか。


周りに同調して自分は仕事を頑張っているなんてダサい事を言っていないだろうか。子育てがどれだけ壮絶なものかも分からずに。1人の命を一日中そして何年も守り続ける側はとてつもなく大変だ。


自分の自由は無く、本能的に子供の事が頭から離れない。息抜きも気休めでしかない状態である。そこに労いの言葉も無ければ、協力する事も無い、ましてや休みの日でも平日と変わらない対応。


そんな人間と一緒になった事を後悔し、子供が成人したら用は無いと見放されても仕方が無い。熟年離婚は積み重ねの結果なのだ。いくら足掻いても挽回しようがない。


風潮というのはそれが正解かの様に思わせる。それを疑う事もしない構造になっていた世の中も残念だが、現実を目の当たりにしても避けてきた側にも責任はある。


世の中から少しでもこうした人間の思考を無くしていきたい。自分の子である事を忘れるな。これから子育てをする人には大切な事なので、理解して欲しい。また現在子育て中の人で上記に当てはまるなら、今すぐに行動を改めて欲しい。


これはお願い事だ。かつて自分の両親は典型的な状態だった。幼かった私でも世の中の当たり前に怒りを感じていた。だからこそ繰り返さない。そう決意して今を生きている。