先日

鎌倉にある「円応寺」に行ってきました。

 

円応寺には

閻魔大王をはじめ

亡くなった者が冥界においてであう「十王」が祀られています。

 

 

 

各王の像の前には

像についての詳細が記されており、

輪廻転生についてや

法要を行う意味について知ったり学んだりすることができます。

 

 

死後の世界のことなので

本当かどうかは誰にも断言することはできないと思いますが、

このような言い伝えや教えを基に

自分自身を律したり省みたり、

または生きるうえでの指針の1つにもなるのではないかと思います。

 

 

 

わたしも

それぞれの仏像を前に

様々なことを考えました。

 

そのなかの1つ

『焼ければ灰になるものは死後の生活では役にたたない』

という言葉を思い出しました。

 

こちらは『導信』さんのブログで拝見した言葉です。

 

「燃えて灰になるもの」

それは、あらゆる「物質」ですよね。

 

バッグ、服、家、お金、車、そしてわたしたちの肉体

 

 

では逆に、

「燃えて灰にならないもの」とは何か。

それは、「精神的」なものではないでしょうか。

 

記憶(記憶に残る行動)、思考、気持ち、願い、思い、心

 

 

 

「円応寺」に祀られている「十王」のなかに

「生前の罪」や「生前の行い」を裁く王がいます。

 

その裁きの結果

次の生まれ変わる道が決まるそうです。

 

 

 

 

今身に着けている物

所持しているもの

住んでいる家

肉体

 

より良いもの、素敵なものを欲しい、持ちたい、見たい

より綺麗に、格好良くなりたい

 

人間界に修行にきているわたしたちには

「欲」がつきものです。

(この「欲」も、十王の取り調べの対象になるみたいですよ)

様々な「欲」があって当たり前だと思います。

 

 

 

でも、

本当に大切なのは

その先にある考えや気持ちや思い。

 

綺麗ごとのようにきこえたり

「そんなことは分かってるけど今はそんなこと言ってる場合じゃない!」

そうかもしれないけど現状はね

 

と思う方もきっといらっしゃると思いますし

わたしも思う時だってあります。

 

 

 

でも

魂が肉体を離れて死後の世界へと向かう時

 

あのお気に入りの服を着て、靴はいつもの!

プレゼントでもらったあのお気に入りの物だけは手放せないから

持って行こ!

 

なんてできませんよね。

 

 

 

どんなものを持っていきたいのか

自分はどんなものを持っていくことができるのか

 

そう考えると

他人にも自分にも目には見えないけれど

大切にしたいことが見えてきます。