昨年まで長きに渡って現役マシンだったクサラWRCの生い立ちについて書いてみます。
一筋縄ではいかなかったドラマがあるんですねぇ。
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F2キットカーが事実上の終焉を迎えており、シトロエン・スポールは後継の「クサラT4」を開発しました。
しかし、同じPSAグループの一員プジョーが既に206WRCを送り込んでおり、
争わせては無意味との首脳陣の判断からお蔵入りに。
諦められなかったシトロエン・スポールのギ・フレクランは社内での説得工作を必死に行い、
プジョーの脅威にならない「条件付き」でクサラを復活させることに成功。
まずはクサラT4をWRCではなくフランス選手権へと送り込んだのでした。
フランス選手権は2WDのみなのに「フランスラリーカー」という特例を認めさせて、
実戦レベルで熟成させたという。
(これもスゴイ話。さすが闘将フレクラン
)
そしてブガルスキーが全戦全勝で制覇し、PSA首脳陣にWRCへクサラを投入することを認めさせたのです。
「兄弟対決」を暗に認めた首脳陣もすごい英断だったかと思います。
オイラの会社の首脳陣だったらそこまでは。。
あと、しがらみが多い中の開発は相当苦労したんだろな。。
でも結果を出して認めさせるというのは、なかなか素晴らしい仕事っぷりですな。
おっと脱線。![]()
かくして2001年にクサラT4を大幅に改良したクサラWRCでWRCをスポット参戦を開始したのでした。
サンレモでは「第3の男」ローブが優勝争いをしたり、コルシカでは苦労人ピュラスが優勝するなどいきなりの活躍。
コルシカでのピュラスの優勝は心打たれるものがありましたね。
幾度と無く優勝のチャンスはあったものの、あと一歩のところですり抜けていってしまう。。
スペイン王者としての実力はなかなか発揮できなかったり、
デビューしたてのクサラがあまりに速かったため違法疑惑までかけられたりという「悲劇のランナー」でした。
そして苦節の日々を払うかのように涙の初制覇!
自分に言い聞かせていたのは「コンセントレイト」「ノーミステイク」だったと。
「集中すること」「ミスをしないこと」の2点はラリーでトップ争いをしてるとき、
仕事を本気でやってるとき(これは時折か?)のオイラも良く言ってることです。
おっと、またまた脱線。。![]()
そして2003年にシトロエン・スポールはクサラWRCでフル参戦、
開幕戦で1-2-3フィニッシュ、さらにその年マニュファクチャラータイトルを獲得したのでした。
クサラWRCは2004年~2006年までセバスチャン・ローブのドライバーズチャンピオンに貢献し、
2007年以降は後継のC4WRCへバトンタッチするのでした。
そして2009年、スバルの撤退によりワークスシートをなくしたペター・ソルベルグがクサラに乗ってましたね。
F2キットカーをルーツとし、最近まで一線級のマシンだったクサラ。
設計や開発において学ぶべきエピソードが多かったマシンだったと思います。
珍しくマトモな〆をしたのは次回のネタに続くからなのでした。![]()





