昨年まで長きに渡って現役マシンだったクサラWRCの生い立ちについて書いてみます。

一筋縄ではいかなかったドラマがあるんですねぇ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

F2キットカーが事実上の終焉を迎えており、シトロエン・スポールは後継の「クサラT4」を開発しました。

しかし、同じPSAグループの一員プジョーが既に206WRCを送り込んでおり、

争わせては無意味との首脳陣の判断からお蔵入りに。

諦められなかったシトロエン・スポールのギ・フレクランは社内での説得工作を必死に行い、

プジョーの脅威にならない「条件付き」でクサラを復活させることに成功。

まずはクサラT4をWRCではなくフランス選手権へと送り込んだのでした。

フランス選手権は2WDのみなのに「フランスラリーカー」という特例を認めさせて、

実戦レベルで熟成させたという。

(これもスゴイ話。さすが闘将フレクランメラメラ


ダニーのブログ

そしてブガルスキーが全戦全勝で制覇し、PSA首脳陣にWRCへクサラを投入することを認めさせたのです。


「兄弟対決」を暗に認めた首脳陣もすごい英断だったかと思います。

オイラの会社の首脳陣だったらそこまでは。。

あと、しがらみが多い中の開発は相当苦労したんだろな。。

でも結果を出して認めさせるというのは、なかなか素晴らしい仕事っぷりですな。

おっと脱線。えっ


かくして2001年にクサラT4を大幅に改良したクサラWRCでWRCをスポット参戦を開始したのでした。

サンレモでは「第3の男」ローブが優勝争いをしたり、コルシカでは苦労人ピュラスが優勝するなどいきなりの活躍。


ダニーのブログ

コルシカでのピュラスの優勝は心打たれるものがありましたね。

幾度と無く優勝のチャンスはあったものの、あと一歩のところですり抜けていってしまう。。

スペイン王者としての実力はなかなか発揮できなかったり、

デビューしたてのクサラがあまりに速かったため違法疑惑までかけられたりという「悲劇のランナー」でした。

そして苦節の日々を払うかのように涙の初制覇!

自分に言い聞かせていたのは「コンセントレイト」「ノーミステイク」だったと。


「集中すること」「ミスをしないこと」の2点はラリーでトップ争いをしてるとき、

仕事を本気でやってるとき(これは時折か?)のオイラも良く言ってることです。

おっと、またまた脱線。。かお


そして2003年にシトロエン・スポールはクサラWRCでフル参戦、

開幕戦で1-2-3フィニッシュ、さらにその年マニュファクチャラータイトルを獲得したのでした。

クサラWRCは2004年~2006年までセバスチャン・ローブのドライバーズチャンピオンに貢献し、

2007年以降は後継のC4WRCへバトンタッチするのでした。


ダニーのブログ


そして2009年、スバルの撤退によりワークスシートをなくしたペター・ソルベルグがクサラに乗ってましたね。


F2キットカーをルーツとし、最近まで一線級のマシンだったクサラ。

設計や開発において学ぶべきエピソードが多かったマシンだったと思います。


珍しくマトモな〆をしたのは次回のネタに続くからなのでした。得意げ





つい最近まで現役のWRカーだったクサラ。


ちょっとその生い立ちになる「クサラキットカー」について、つらつら書いてみます。




ルーツはF2キットカー、


FFながら300馬力オーバー、軽量でワイドトレッド、


とどめにトラクションコントロールまで装備してるめっちゃすごいマシンですわ。




1999年のシーズンは圧巻でした。


WRCカタルニアでは、初日スペイン王者のヘサス・ピュラスが4WDターボ勢をブッチ切りトップに。えっ




ダニーのブログ



しかし翌朝エンジンがかからず悲劇的なリタイアしょぼん




この勢いを引き継いだフランス王者フィリップ・ブガルスキーが快走、


ついにF2キットカーがWRC総合優勝を果たしてしまうのでした。グッド!




ダニーのブログ



次いでツール・ド・コルスでは

フィリップ・ブガルスキーとヘサス・ピュラスが上位タイムを連発、


こんな異次元のスピードにレギュラー勢はこんなコメント:




トミ・マキネン


「同じクルマが勝ち続けるのは良くない。だからいいんじゃないかな。」


う~ん、王者らしい。




リチャード・バーンズ


「将来は変わることは確かだね。彼らはちょっとやりすぎだよ。」


チクリと批判してますな。




フランソワ・デルクール


「シトロエンには難しいんじゃないかな。4WDの方がいいと思うよ。」


4WDに乗り換えたばかりだけあって、オレ様のほうがイイぜってな感じです。




ブルーノ・ティリー


「レギュレーションがあり、フランスにシトロエンがいる以上どうすることもできないよ。


 将来はルールを変えることがあるかもしれないけどね。」


何か将来を予見しているような。。




コリン・マクレー


「WRカーがある以上、それが最速のクルマになるべきなんだけどね。」


大胆に言い切りましたなぁ。




レギュラー勢の思惑とは裏腹に、


雨の中でも2WDのクサラはベストタイムを叩き出してしまう。。


最終的には何とフィリップ・ブガルスキーとヘサス・ピュラスが1-2フィニッシュ!


F2キットカーが2連勝を収めたのでした。グッド!




ダニーのブログ





しかし、、先ほどのレギュラー陣のコメントはFIAの面々も同様であったようで、


キットカー規制論議に拍車をかけてしまう結果に。。


翌年からはキットカーを規制するレギュレーションに変更、


ウェイトハンデを喰らい、4WDターボ勢に勝てる状態でなく事実上F2キットカーは終焉を迎えることに。しょぼん




これが基でF2キットカーからシトロエンは撤退、4WDターボの開発にシフトしてしまうのでした。


この開発にもいろいろとドラマがあったようで。。(このネタはまたの機会に)




ではおまけの動画っ。


短いけどピュラスとブガルスキーが駆るキットカーのかん高いNAサウンドをどーぞチョキ















さてと、お次はジル・パニッツィです。


国内では「パニやん」とも呼ばれてまして、


ターマック(舗装路)スペシャリストとして結構ファンが多かったです。




オイラが最初に知ったのはフランス選手権に参戦してた頃の、


プジョー306マキシのオンボードカメラの映像でした。


300馬力のFF、軽量NAマシンは恐ろしくレスポンスが速く、


ちょっと危険な何とも言えぬ雰囲気を出していたのが印象的でした。


何でかって?雨の中7速全開でしたからっあせる


「キットカーを過激な領域に持ち込んだ」とか、雑誌に掲載されてましたね。


4WDターボ勢と互角かそれ以上の争いをしてましたし。





ダニーのブログ



キャリアの多くをプジョーで過ごし、106→306→206WRCとステップアップしていった


見事なまでの出世街道。


206WRCでWRCに参戦してたときがキャリアとして充実していましたな。




とても印象的だったのは2001年のサンレモでのエピソードです。


キットカー時代から競り合っていたシトロエンと壮絶なトップ争いをしていて、


ヘサス・ピュラスとフィリップ・ブガルスキーが共にリタイヤした後のこと。


上位タイムを連発するシトロエン第3の新人ドライバーとトップ争いをすることに。


そのドライバーとは?


そう、現在優勝しまくりのセバスチャン・ローブだったのでした。ビックリマーク




2位に飛び込んできた新進気鋭のローブについてのコメント:


「シトロエンのドライバーはみんな速かったよ。特に最後の若い奴が速かったね。」




ダニーのブログ





「顔はめっちゃ怖いけどハートはアツいぜ、パニやん兄貴!!



では本日の動画っ。


走行中の怖い顔はありません(笑)


2002年のカタルニアの最終SSにて、余裕のトップを快走していた余裕からか


素晴らしいファンサービス、ヘアピンにてドーナツターンを披露してます。


(今はこの行為は禁止されてますが)







「コ・ドライバーの弟エルベ ビビッてますやんにひひ




では次回はマシンのネタでも書こうかな~