父・肝臓ガンに倒れる

父・肝臓ガンに倒れる

人の記憶は曖昧なもの。。。その時その瞬間を書きとめよう。

悲しい真実を突きつけられたとき、怖いぐらいに冷静で涙も出なかった。


平成20年7月11日。誰にも知られることなく、じわじわと父の肝臓を蝕んでいたガンが突然の爆発。

出血性ショックの危険な状態で家族が集められた。


時間を追うごとに見えてくるたくさんのこと。たくさんの思い。


※思い出しながら書いた部分があるため、書いた日と内容に数日の誤差が生じる場合があります。

なにぶん素人ですので、専門用語や受け止め方が違っていることもあるかもしれませんがご了承ください。

Amebaでブログを始めよう!

覚書のつもりで始めたはずなのに、全く筆が進まない。


当たり前といえば当たり前だろう。

いいことならまだしも、辛いことをあえて文章にするのだから。


きっと、後々ここを読み返すこともないだろうと思う。

そう思うと、何のために書くのかわからなくなった。


身内に病人が出て初めて解ること、知ったことがたくさんある。

特に、病院、医師、看護士についてだ。


もちろん、関わった人はほんの一握りで、全ての人がそうでないことはわかっている。


ただ言えるのは、患者やその家族の辛さや痛みを親身になって考えてくれる人が少ないということだ。

親身になってくれる医師や看護士に出会えたなら、それはそれはとてもラッキーなことだと思う。


横や縦の連絡が全く行き届かず、患者に対してちぐはぐなことを言ったり、聞いたことの返事がずっと返ってこないことは日常的。

医師は自分の仕事のし易さを優先し、看護士は「看護士」という仕事の意識が低い人が多い。

これが病院ではなく、企業であったとしても許されることではないはずだ。


言い方は悪いが、病院に人質をとられているようなもので、強く(苦情を)言って、そのしっぺ返しが入院している身内に返ってくるのが怖くて強く言えないのが現実。


「批判的な心」を持ってはいけない・・と、なんとかして「感謝の気持ち」を探す自分がいる。




現在父は、入院してから日に日に体力がなくなり、起き上がっていられる時間が少なくなってきた。

見ているのが辛い。

でも、諦めてはいけない。できることはないかと、未だに「何か」を探し続けている。




もう更新することはないと思います。

読んでくださった方、ありがとうございました。

昨日は定期的に行っている検査日だった。


腹水有り。貧血あり。肝臓の数値(さらに)悪化。


2日に1度の注射を毎日したほうが良いとのこと。

そして、点滴をした方が腹水の減りも早いだろうということで、再入院を勧められたという。


今罹っている病院は、この春移転することが決まっている。

現在の場所に比べると実家からかなり遠くなり、不便になる。

その上、担当医の転勤も決まったそうだ。


そんな理由から、現在の場所から近い総合病院を紹介された。

そこには肝臓の専門医が5人いるという。


病院に付き添った母と妹が早速、紹介状を持って病院を訪れた。

そして本日、3月10日に再入院することが決まった。


その時、新しい担当医から話があったそうだ。

妹からの電話連絡だったが、どんな話だったかは、父が近くにいるのだろう、「それは今度話すね」ということで聞けなかったが、いい話でないことは確かだ。


私は、なんとなくこの展開を予想していた。

考えたくはなかったが、父の顔色、表情を見れば、素人目にもよくないことはすぐわかる。



・・・・近々再入院することになるだろう。


あたって欲しくない予感だった。



入院は本日の午後。

昼食を家で摂ってからの入院だ。


幸い仕事が休みなので、私も父と一緒に昼食を食べようと思う。


誰だって親の弱った姿は見たくない。目をそむけていたい。

一緒に住んでいる母や妹からの報告を聞くだけの方が辛くないのかもしれない。


でも、それじゃいけないんだ。

本人が一番辛い。ずっとそばにいる母や妹も辛い。

私もしっかり現実を見つめて、父同様、母や妹も精神的に支えないといけないのだ。


何ができるのかは正直わからない。


ただ、父のそばに、一人でも二人でも集まることによって、大きなパワーになる。

そう信じて笑顔で向かい合おう。

父の顔に翳りが見えはじめている。

表情もそうだが、顔色もよくない。


実際、口数も少なくなり、病院に行く以外は、ソファに座ってじっと過ごすことが多いという。

一緒に住んでいる孫達の甲高い声やおもちゃの音にイラつきを見せている。


身体が辛いのだろう。そして、いろんなことを思い、考えているに違いない。


そこで私は、父の体調も気になるが、(私の)息子の野球の試合観戦に誘ってみた。

学生の頃野球をしていた父なので、きっと楽しんでくれるはずだ。

そして、子供達の一生懸命な姿を見ることで、ほんの少しでも気持ちが明るくなってくれれば・・・そう願ったのだ。


息子に「おじいちゃんが応援に来るかもよ。」と話すと、


「なら、ホームラン打たなきゃね!」


と嬉しそうに言った。

そんな素直な言葉に胸が熱くなったが、その言葉は父には告げなかった。


やはり無理をして欲しくない。

体調や気分をみて、当日のキャンセルも全然OKだよ・・・と話した。


試合当日、雨こそ降らなかったものの、気温が低く、冷たい風が吹いていた。

せめて冷たい風をしのいで欲しく、グランドが見える関係者以外立ち入り禁止の部屋へ父を案内しようと、そこへの立ち入り許可を事前に得ていた。


が、子供達の声がしっかり届く観客席で観たいと、弱々しい足取りで階段を上っていった。

用意していたひざ掛けと手袋を一緒に来ていた母に渡し、


「寒くなったらいつでも言って。室内で観られる準備をしているから。」と言い、私は試合の手伝いへ戻った。


室内に居ても寒い。やはり心配になり、私は朝着てきたロングコートを持って父の元へ走った。

そして、小さく細い父の肩にコートを掛けた。




息子が好プレーをするたびに涙が出そうになった。


父が観ている。

孫(息子)のプレーする姿を観ている。


そう思うだけで。。。。




最後まで観なくてもいんだよ。

そう言っていたが、父は最後まで試合を観てくれた。


ゆっくり歩く父の腕をつかみながら、「寒いところ応援に来てくれてありがとう。」と、私は何度も言った。


試合はまたあるよ。

きっと、きっとまた応援に来てね。きっと来てね。


心の中で叫びながら病院に向う父を見送った。







時が経つのは早いもので、明日からもう3月。


3月4日には、白内障の手術の2回目(もう片眼)を受けることになっている。

そして現在、漢方専門医のいる個人病院にも通っている。


依然として、体中にできた蕁麻疹は痒みを伴って、父の睡眠時間まで奪っているようだ。

皮膚科に何度行っても原因は解らず、気休めの塗り薬、痒み止めという名の眠り薬を処方されるだけ。


そこで、身体の内からなんとか治せないものかと、漢方の力を試してみることになった。


その後、処方された漢方薬を飲み始めたのだが、下痢が続き、合わないのでは?という不安を抱えて2回目の受診。

先生曰く、肝臓が殆ど機能しておらず、肝臓の働きの代わりを腸がしようとしているそうだ。

この下痢というのは、身体の中の悪いものが出ているので、漢方薬の効果が出ている・・・とのこと。

この症状がなければ、漢方薬を処方しなおす考えだったそうだ。


血液検査の結果、かなり肝臓の数値が悪くなっていて、そのせいか、だるさや若干の食欲低下がみられるようになっている。

腹水も少し溜まっているとのことで、2日に1度の注射が、1本追加された。



数日前、父は初めて自分の肝臓の画像を見た。

無数に広がったガンを前にどんな思いだったのだろう。


付き添っていた母が言うには、


「あんなにたくさんあるとは思ってなくてショックだったけど、自分の肝臓の様子がわかって少し安心した。」


と言っていたそうだ。

隠すことだけが父のためではなかった。


きっと父は、自分がどんな風にガンに冒され、どんな状態にあるのだろう・・・と、怖くて聞けない気持ちと同時に、見えない不安でいっぱいだったのだろう。


今後の課題は、いかに今の状態を長く続かせることができるか・・・ということだ。

もはや完治ではなく、共存の道だ。



肝臓ガンで亡くなったというニュース。


今度は、フォーリーブスの青山さん。


私は、フォーリーブスというグループ名は聞いたことはあるが、メンバーの名前すらよく分からない世代。

だけど、「肝臓ガン」という言葉には敏感に反応してしまう。


10キロ以上も腹水がたまっているというニュースを聞いて、かなり悪い状態にあるということは察しがついていた。

ご本人もさぞかし辛いであろうと心を痛めていた矢先の訃報。


父とも青山さんの話をしたばかりだった。

他人事でないニュースだけに、父の言葉数は少なかった。


父の状態だが。

先日行われた骨の検査でも転移は認められず、ほっと一安心したのだが、血液検査の結果が芳しくない。


腫瘍マーカーの数値をはじめ、肝機能の低下を思わせる数値が並んでいたという。


見た目はというと。

体重も増え、顔色もよく、食欲旺盛。


見た目と身体の中の様子にギャップを感じる。


肝臓ガンはそっとそっと水面下で、父の身体を蝕み続けているのだろうか。