亡き祖母に導かれるように連句会・ひとつばだごに通いはじめた一葉を描くシリーズ第三弾。
トークイベントで司会をやったり、新しい出会いがあったりと、少しずつ学び、感じ取る一葉。
連句を通して、日本語の美しさや表現のステキさといったものを改めて感じる
連句は人生のように、出会いと選択によって行き先が変わる、正解のない分岐の連続。面白いし深いなと思う。
合間の休憩で食べる和菓子がどれも美味しそうで趣もあり。
和菓子の魅力にも惹かれる
もし〇〇してたら、と思う事が度々あるけど、そちらの方を選んだとしても、きっと何かしら思い煩うかもしれないな、と。
「最初から正しい道が決まってるわけじゃなくて、歩くなかで自分の道が定まってくる、ってことなんじゃない?」
自分にとっての正解を自分自身で作り上げていくものかもしれないなと思えた
~心に残った言葉~
定番は大事だけどルールじゃない、って言ってたのよね。みんなが楽しみにしてくれているから定番は大事だけど、ただのルーチンになってしまったら心がない、って。
一度きりの人生。みんな結局、自分で自分を背負って生きていくしかない。自分の足で歩くしかない。
最初からできないと決めつけてたら、一生なにもしないまま終わってしまう。
ひとつひとつの分岐を決めるのは、人との出会いなのだ。ほかの人の想いを知ることで、わたしたちは少しずつ変わっていく。
連句というものも遊びであって、一種のハレである。派手な飾りも踊りもないけれど、連句の場では言葉の園でみんなの心が遊んでいる。その遊びがあるから心は豊かになり、そこから生まれるものもたくさんある。
人が人として生きていくためには、お祭りも必要なんだなあ、と思った。