本の感想は コチラ
他に、心に残った言葉を
別途に記したフレーズ集
(自分の記録用)
気にする人の気持ちはわからないが、わからないからこそ、ないがしろにしてはいけないのだ。
「盛り上がって行こうぜ!」と言われたら「あ.....はい.....」と萎えてしまうようなところがわたしにはある。そういうタイプの人間は「ノリが悪い」と評価されるし、ノリの悪い人間は集団生活には向いていない。
でもたぶん、生きていくってそういうことなんだろう。すっきり、きっぱり解決しない物事と、うまくつきあっていくことなんだろう。
そんなことを言われても、とにかく経験がないのだからわからない。高雄にはそういうところがある。自分が見て、経験してきたものこそが「普通」であり「標準」であると思いこみがちなのだ。
思ってはいたけれども、思ったことをぜんぶ言う必要はない。言葉は刃で、鈍器だから。
他人の失敗を横目に「わたしはまだあそこまでじゃないから」と胸をなでおろす行為は卑しい。
わたしはいつも、自分の抱えているもののことだけで頭がいっぱいだ。そうして、無意識のうちに、他人を軽く見ている。
守るべきものの優先順位を間違えないこと。もういちど、強く思う。
べつに、めんどくさいからとか、そういうわけではないのだ。だって人間はみんなさびしいから、いちいち同調してまわるわけにもいかない。わたしのさびしさは、わたしだけのもの。大家さんのさびしさは、大家さんだけのものだ。
誰もがたやすく口には出せないものを抱えている。知ってほしいという願いも、知られたくないという願いも、そのまま受け止められたらいい。言うほどたやすいことではないのだろうけど。
できないことを責めたり、あるいは恥じたりするより、どうやったらできるかを考えるほうがいいに違いないから。わたしは誰も救えない正しさより、正しくなくても鈴菜も朔も生きていける方法を探す。
生きている限り、人は誰かを傷つける。わたしだってたくさん傷つけた。
それでもわたしは、傷つけないように、傷つかないように、なるべく他人とかかわるまいなどとはけっして思わない。
たぶん誰もが「どうしよう」とか「わからない」とか「もういやだ」とか、そんな気持ちを腕いっぱいに抱えて歩いている。後戻りができないことをみんな知っている。だから、進むしかない。