今朝TV番組で紹介されていた映画から、モロッコのお見送りのことを知りました。
女性は埋葬や葬儀に参列できないというのが伝統なのだそうです。
伝統であり、宗教上のものではないというのが考えさせられました。
最愛の夫を亡くした妻は、最後まで見送ることが出来ない…
男性だけで埋葬し、祈りを捧げ、女性は家で待つのだというのです。
それゆえ、抱えるグリーフは大きく深く、そして長引くのだろうと感じました。
葬儀に参列することは、現実に直面することでもあり
そのことが辛く悲しく、回避したくなることもあるかもしれません。
葬儀とはどのような目的があるのでしょうか。
故人を弔うだけではなく、遺された人々のため
精神的な意味合いが大きいということをご存知でしょうか。
宗派の違いや、無宗教により、見送り方は様々ですが
故人とお別れをする最後の機会であり、故人を悼み、天国へ送り出します。
そして遺された者が、現実を受け止めること、心の整理をつけるものでもあります。
生死というものへの理解を深めるものでもあり、集まった人同士で分かちあうものでもあります。
日本での埋葬の歴史は縄文時代からありますが
その理由ははっきりとわかっていないそうです。
庶民の葬儀としては、土葬という形が平安時代まで続きます。
そして鎌倉時代に大きな変化があり、鎌倉仏教(浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗)が起き、庶民の信仰が可能となり普及していきました。
それ以前から仏教は伝え入っていましたが、上流階級のもので庶民には縁遠いものでした。
この頃から現代の一般的作法(湯灌、火葬、拾骨)が行われるようになったそうです。
埋葬した場所に墓石などは置かれていません。
江戸時代では庶民の多くは土葬であり、埋葬した上に盛り土・土饅頭にするようになり、お墓という形になったようです。
武士のお墓には板塔婆や石塔婆などが建てられるようになり、徐々に庶民にも広がり、卒塔婆や墓石を置くようになっていったそうです。
故人の霊を祀る場所 として形を変えてきました。
お墓にも精神的な役割があります。
故人と遺された人を繋ぐ、という意味合いです。
そこに向かい、手を合わせる
お墓参りをすることで故人と向き合い、思い出だけでなく新たな関係を築くことにつながります。
日本古来からつづく死生観として
人は亡くなっても霊魂は滅ばないということが反映されているのでしょう。
死を受け止めるための儀式や、祀ることで新たな関係性を築いていく
古くから続く故人との向き合い方には精神的な意味合いが大きいんですね。
核家族化する中で、葬儀や法事という仏事は
集まった者同士が故人に想いを向けるという横の繋がりを感じることにもなります。
死を受け止める
その最初の段階がお見送りなのだろうと思います。
コロナ禍において葬儀や見送りの形に変化が生じており
縮小化で参列できなかったり、オンライン化のお話も見聞きします。
様々な理由で葬儀に参列できない場合
例えオンラインで繋がっていても、その場に居られない場合
直に向き合われている人との感情の在り方に違いがみられるそうです。
受け止めるための儀式や行為は
頭で理解するよりも、大きくて深いもの
抱えるグリーフにも少なからず影響を来すのだろうと思います。