発達障害と診断されるまでの経緯を書いていこうと思います。


まずは、幼少期の頃の様子...。
今思い出しても黒歴史すぎるorz


かなり昔のことだから思い出せない部分があります。すみませんガーン


3歳の頃、検診か何かで「多動傾向あり」と診断を受けて、普通の私立の幼稚園と並行して週に何回か療育施設に通っていました。

当時は発達障害の認知度も低かったでしょうから、両親は初めての子どもへの診断に戸惑ったと思います。

診断結果を聞いた父は怒り狂って母にたくさんの暴言を吐いたそうです。
この時点で「ん?」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんがうちの父は暴力暴言ギャンブルDV野郎ですw

似たような境遇の方で、記事を読んでいるうちにフラッシュバックを起こしてしまう可能性がありますのでご注意くださいね…あせる



因みに私には2つ違いの弟がいますが、弟は自閉症スペクトラムのうちの高機能自閉症です。
ですので姉弟2人で同じ療育施設に通っておりました。

私の検診の時は多動傾向あり位の結果だったと思うんですが、弟の場合はハッキリ発達障害であると診断を受けたので父の怒り狂い具合は物凄いものだったでしょう。
とりあえず子どもに問題があれば全て母親のせいにする男です。
そして厄介なことに母は自分さえ我慢していれば…という性格ですので反撃?はしなかったみたいです。


そして幼稚園での私の様子。
もうやんちゃ、とかそんな可愛いものじゃない。

*多動「傾向」というレベルじゃないくらい大人しくできない
幼稚園でも、学年集会みたいに体育館に集まる事があると思います。
私はじっと座る事ができずにしょっちゅう抜け出して先生から追いかけられていました。
ちなみに抜け出すことが悪い事だと思っておらず、つまらないから抜けた、程度でした。

療育施設では、子どもと先生がマンツーマンで向き合ってお話したり積み木を使って遊ぶテストのようなものが行われ、その間保護者は別室から様子を見ているのですが、
私は先生から逃げ出して部屋の隅にある置物の影に隠れて駄々をこねて全然話になりませんでしたorz



*融通が利かない
私が通っていた幼稚園では、↑のような集会の時に、親が作ったクッションを椅子に適当に並べていき、クラス順に座っていくのですが…。
私は体育館に入った途端、我先に自分のクッションのある椅子に座り込み

自分のクッションじゃなきゃ嫌

と我儘をいって先生方を困らせていました。


*ルールが守れない
一つの玩具で遊ぶのに順番待ちをすると思うのですが、「待つ」ことよりも「次の人に譲る」ことができませんでした。
10分経ったら交代と言われても譲らず...。
次の順番だった同級生には申し訳ないですね…。

*集中できず意識があっちこっちに
多動と近いのですが、先生の話を聞いている時に手遊びをしたり、全然違うところを見ていたり、隣の子に話しかけたり、他の子たちのように最後まで先生の話を聞くことができませんでした。

*相手の迷惑を考えない
自分が行動した結果、相手がどう思うかを考える能力が弱いんですね。今もです。
友達を危ないところに連れ回したり、夜遅い時間まで遊ぼうとしたり...これは相手の親御さんからしたら迷惑以外のなにものでもないですよね。

*冗談を真に受け「すぎる
同級生と話している時に、特にやんちゃな子は他の子にちょっかい出したりしますよね。
私の場合、バカと言われただけで物凄く激怒したりムキになったりしていました。


幼少の頃は自閉症スペクトラムよりも、ADHDの要素が強かった気がしますね。
中には障害の特徴と言うよりただ親の躾がなっていない部分もあるかと思われます...。

↑は幼稚園での出来事ですが、家では

*父親が短気ですぐに怒る
父はカレンダー通りの休みがある仕事についていたのですが、仕事から帰ってきてから家族と触れ合う、なんて事はありませんでした。
私と母と弟は基本、リビングにいるのですが父は別の部屋でレース物?のビデオを見たり新聞でギャンブルのページを読んだりしていました。
私たちが騒ぐとすぐにうるさい!と怒鳴り散らし、
それに私がその声がうるさい!と言い返すと「親に対してその口のきき方はなんだ!」と怒って叩いたり蹴ったり髪の毛を引っ張ったりしました。

土日も、母が提案をすれば外食等に連れていってくれましたが、外食の時に私や弟がこぼしてしまったりするとすぐ「何をしとんのや!!」と怒鳴って叩く。近くの席の人達がビックリしてこちらをみる。
母が「外だからやめて!」と諌めると「はぁ〜あ」と眉間に皺を寄せて大きくため息をつく。
外食は全然楽しくありませんでした。
私や弟が父とって気に食わないことをすればとにかく文句を言われるのです。

場合によっては出かけた先で、自分は車に乗って待ってるからお前らだけで行ってこい、ということもありました。
でもむしろその方が、失敗した時に怒られずに済むので良かったんですけれどね…。

とりあえず、父は私達が失敗したら威圧的な口調で何か言ってきたり、怒鳴ったりするのが当たり前でした。
父親を優しいと思った事は一度もない事は確かです。

*父はあまり育児に参加しない
これは他の家でも割りとききますよね。
自分は働いているんだから専業主婦の母が育児をしろ。
責任は全て母。両親揃わないといけない面談などは参加してくれましたが。
ですから、母が父に私たちのことを相談する事は殆どありませんでした。
相談しても、お前がなんとかしろ!と言われるだけでしたので。
そして、母が弟の入院、手術でつきそうので家に帰れない時に、私が寂しくてお母さんお母さん、と泣いていたら
「うるさい!!泣いても何も変わらん」と怒鳴り、
病院にお見舞いに行った時は母に私の事で文句を言っていました。
母が「仕方ないでしょ!まだ小さいのに!」
みたいな事を言うと、流石に病院なので大声をあげたりはしませんでしたが明らかに不機嫌になっていました。

小さい頃から「なんでこの人子ども欲しいと思ったんだろう」
と、今でも疑問に思っています(笑)


*構ってちゃんのクソ親父
いざと言う時は私たちを「俺は知らん!」と切り捨てる父ですが、普段は私たちをからかって1人だけ楽しんでいました。
私や弟に、冗談が通じないのを知っていて突然

「お前らの玩具を全部捨ててやるぞ〜」
「豚子」
「ばーか」
「死ね」

お前は一体何歳だ!!!(笑)

しかし私も弟もムキになって、大嫌いな父親にうるさい黙れ!!お前が死ね!!とか言い返したり...。
そしたら逆ギレされて叩かれたりして終わるんですけどね…ぼけー

*ギャンブル
父方の祖父は私が産まれる前に亡くなっているのですが、どうやら祖父はギャンブルが好きで、恐らくそれを受け継いだんだろうな〜という感じ。
生活費は母が管理していましたが、父が母にお小遣い寄越せと言ってどんどん毟りとってました。
母が「流石に多すぎでしょ?何に使ってるの?」と聞くと突然怒って「うるさい!俺が稼いだお金じゃ!」と言い出すので母は諦めていました。


*世間体を気にしすぎる
の割には中身は最低な父親ですけどね。上に書いた通り。
他の家の子どもと自分の子どもを比べたり、
ちょっとやんちゃな男子の話を聞いてソイツはだめだな、とか言ったり。
おめーの子ども2人ともハンデ持ちだぞ、と言いたくなりますけどね。
というか自分のことは棚にあげて人の批判は大好き
自分の子どもがバカにされたら怒るけど、それは親だから子どもを侮辱されて怒っているのではなくて、
自分のアクセサリーを批判されて怒ってるのと同じ。
そして、家では本当に最低な父親ですが、仕事は優秀らしくバリバリ稼いでいたようで外っ面はとても良かったみたいです。



*虚言癖
これはもう、本当に病気じゃないかと思ってます。
世間体を気にしすぎるあまり見栄を張って嘘を付いたりなんて事はしょっちゅうあります。
職場で自分の子どもがどれだけ優秀かみたいな話で、私の成績を捏造したり、中学校の頃に、家庭訪問で県内一の進学校に余裕で入学できますよと担任の先生に言われた、と嘘をついたり。
某顔本でほ私は地方で有名な医療系の大学に入った事になってました(笑)
因みに医療系って所だけはあってます(笑)
あとは全部嘘。
他にも、ちょっとした怪我を物凄く大げさにいったり。
構ってちゃんの部分と少し被りますかね...。


父と母はずっと仲が悪いわけではなく、普段は普通に会話したりも一応していました。
ただ何かあった時に↑のような状態になる、という感じでした。

父が母にちょっかいを出すと母が「うるさい!」と言い返し、それを見て私と弟は何故かゲラゲラ笑ったり、ということもありました。本当にたまにだけど。


*母も変!!
父親だけが変だった訳ではありません。
母にも変なところはたくさんあります。

結論から言って、未診断ですので断言はできませんが、母も自閉症スペクトラム(アスペ)だと思いますし母も今は自覚しております。

*父とは少し違うタイプのヒステリー

母も若干ヒステリックな部分がありまして、父親ほどではないですが、
私や弟が失敗した時にヒステリーを起こしたり叩いたり、という事もありました。

でも普段は優しくて、周りの友達からも「お前のオカン優しいよなー」と言われてました。

原因は忘れましたが、ある日私が母を怒らせてしまい、
まだ私も弟も小さいので母と3人でお風呂に入った時に

「バカが移るからこっちにおいで!」

と弟を自分の方に引き寄せて私にそう言ったり、塾の宿題で分からないところがあったから母に質問した時に、なかなか解けないでいると

「何でこんなのもわからないの!」

と段々イライラしたり。
落ち着いた時に「私は人に教えるのに向いてないね」と笑い泣き

それと、怒る時に、必ずと言っていいほど
「100人中100人がお母さんが正しいって言うからね!」
と言って私だけが悪いのだ、ということを主張していました。

*デリカシーがない!
中学の頃、テストで99点を取った私は母に褒めて欲しくて、学校から公衆電話を借りて(家が少し遠いので母に送迎を頼んでいました)、
ウキウキと報告したら

え〜どうせなら100点とればよかったのに

と、あっけらかんと言ったのです。
褒めてもらえると思っていた私は泣きながらガチャ切りしました(笑)

そして、私の誕生日に、たくさんの回転寿司のテイクアウトお寿司を買ってきてくれたのですが...。
その時私は重度の熱中症で、自力で起き上がれず、常に吐き気に悩んでいる時でした。
私の誕生日祝いなのに、それを食べられない私の目の前で家族で寿司を食べるという(笑)

私の体調が治ってからにすればいいのに...。


そしてしょっちゅう人の話を遮る。
私が何か話している時に突然、
「そういえば話変わるけど」
「それよりさ〜」

もう話す気が失せて何も言えませんでした。




*療育や支援を早いうちから受ける機会を失う


そして、肝心の療育ですが。
幼稚園の、年長クラスになって暫くして父の転勤が決まりました。

引越し先では、療育なんて無かった!

と言わんばかりに普通の私立の幼稚園だけに通う事になり、
私はそのまま発達障害の早めの支援を受ける機会を完全に失ってしまいました。

これは憶測ですが、高機能自閉症の弟と違って、私は言葉の遅れ等はありませんでしたので、恐らく軽い気持ちで

もう療育施設に通わせなくてもいいだろう

と親に判断されたのではないでしょうかw

だめですよ〜。
ド素人の親の判断だけで決めてしまわず、然るべき機関に相談しないと。
結局子どもが将来困るんだから。


因みに、弟は療育施設ではありませんが、高機能自閉症児も受け入れてくれるいい幼稚園に通うことに。


*プチ放置子?
↑で父は育児に対しては消極的と書きました。
母は当時専業主婦でしたので仕事と育児に追われる!という事はありませんでした。

しかし、私の弟は発達障害だけでなく、体が弱く頻繁に高熱を出してしまう体質でした。
幼稚園に入る前は、母が付きっきりで看病。
幼稚園に入学しても熱を出すせいで1週間の半分も幼稚園に行けていなかったそうです。
(私は当時弟に無関心でしたので体が弱い〜くらいの認識しかなかった)

私は完全に放置、という訳ではありませんが、弟のことで手一杯で私の躾?まで手が回らなかったんでしょうね...。
だから、その時期に本来は親に注意されたり、教えられたりする事で学ぶ社会でのコミュニケーション能力やマナーを私は獲得する事ができませんでした。

でも、母は不器用なりに自分の事を愛してはくれていました。


以上が幼少期の様子と、自分の家庭環境です。
この頃、家庭環境はまだマシな方でした。
多分本当はもっと色々あったはずなんですけれど、思い出せる部分がこれくらいでした。

もちろん、父が全て悪かったわけではなく、
ごくたまーーーーにですが、父が正しい立場である時も、本当にごく稀ですがありました。

どのご家庭にも、人に言えない部分があると思うのですが、うちの場合は言えない事だらけ!!!(笑)
今だから言える...w

そんな私が義務教育中にどうなったのかは、次の記事でおーっ!