今から15年前にある精神病を患ってた人と仲良くなった、その人は小説家を志していて早稲田卒、 僕がミュージシャンなために芸術家として認めてくれたのか良く話しをした、しかし支離滅裂なためあまり対話にはならなかった、たまに自作小説を見せてくれたが残念ながら 意味がわからなかった…
そんな彼に天王寺でアコギの弾き語りライブをすると伝えたら、わざわざ天王寺まで見にきてくれた。
ライブでチューニングしてたら「頑張れ○○
」と名前を呼び捨てで読んでくれた
その声は恥ずかしそうにしかしながら力強く 長いライブ経験の中でもかなり記憶に残る瞬間である。 実家に帰ったと噂で聞いたが今どうしてるかは全くわからない
当時 精神疾患のために彼は仕事も出来ないでいた 話ししてたら 僕も「これは社会生活は厳しいなあ」と思った。
しかしあの天王寺の狭い暗がりで響いた彼の「頑張れ
」
は誰に言われた励ましよりも記憶に残る。
ある方の文章を読んで思い出した思い出。
ただその頑張れは当時タイミングといい場の雰囲気に合わなさといい最悪ではあったが
その昔一応プロを目指し夢多き時代の僕にくれた声援は現在プロなど全く眼中になく様々な生きる痛みを味わう僕を励ましてくれる。
そんな彼に天王寺でアコギの弾き語りライブをすると伝えたら、わざわざ天王寺まで見にきてくれた。
ライブでチューニングしてたら「頑張れ○○
」と名前を呼び捨てで読んでくれた その声は恥ずかしそうにしかしながら力強く 長いライブ経験の中でもかなり記憶に残る瞬間である。 実家に帰ったと噂で聞いたが今どうしてるかは全くわからない
当時 精神疾患のために彼は仕事も出来ないでいた 話ししてたら 僕も「これは社会生活は厳しいなあ」と思った。
しかしあの天王寺の狭い暗がりで響いた彼の「頑張れ
」 は誰に言われた励ましよりも記憶に残る。
ある方の文章を読んで思い出した思い出。
ただその頑張れは当時タイミングといい場の雰囲気に合わなさといい最悪ではあったが
その昔一応プロを目指し夢多き時代の僕にくれた声援は現在プロなど全く眼中になく様々な生きる痛みを味わう僕を励ましてくれる。