人間、サボり癖がつくとなかなか直せないもの・・。




3度目の正直を狙って宅建に挑戦しているが、


あの震災の日以降、まったく手につかなかった。





何度も起きる余震、そして気持ちまで揺れ、


そして普通にしているのに揺れているあの感覚が続いた。





毎日流れる大津波の映像。


妻の叔父さんの住んでいる場所も跡形もなく流されていた。




連絡がつかない。


名取市閖上は仙台空港のすぐ近く。




閖上地区の津波前と津波後の写真がテレビに映る。


名取川近くに住んでいたので「もうダメだよ・・。」と妻は悲しんでいた。




「まだ連絡がつかない避難所もあるから、望みは捨てるな」と励ました。





災害本部に妻の姉の電話番号を伝えた。


2日後、叔父さん本人から連絡があった。


このときの安堵感は言い表せない。




地震後すぐに車で息子さんの家に避難したとのことだった。


仕事で使うものや貴重品はすべて持って逃げた。





やはり生死を分けたのは、迅速な判断なのだと実感した・・。





そんなことがあり、あの大津波やがれきの山の映像が離れずにいた。



それは今も同じなのだが、ようやく気持ちが落ち着いてきた。






宅建の勉強もまた一からやり直すことにした。


再開して10日ほど経つが、だんだん勉強モードの頭になってきたようだ。





この2ヶ月、やろうという気にまったくなれなかった。


しかし、諦める気持ちもさらさらなかった。


気持ちさえ途切れなければ、必ず時間が解決してくれる。





自分の挑戦なんて、被災地の人の明日の見えない状態から見れば、


なんと贅沢なことかと感じた。





だが、この挑戦は自分のもの。


環境が許してくれるのだから、諦めるなんてあまりにももったいない。





自分には自分のやるべきことがある。


何でもかんでも、そしていつまでも大震災のせいにして過ごすことはできない。





自分のやるべきことをないがしろにして、


人のために何かやろうなんて、どこかおかしいと思う。





自分を大切にできない人が、


人を幸せにできるはずがないから。





あと5ヵ月半。


今まで培ったものはちゃんと残っている。





もう十分すぎるほど休んだから、


これからは昨年以上に熱を入れて取り組んでいく。





あの「あと1点」の悔しさは二度と味わいたくないからね。




「挑戦」できる幸せを肝に銘じて・・。