バンクーバーで行われている「パラリンピック」。






大日方選手が銅メダルを2個獲得し、個人通算でメダル10個という快挙を成し遂げた。


ノルディックスキー距離の男子立位10キロクラシカルで新田佳浩選手が金メダルを獲得した。


スレッジホッケーでは、前回金メダルのカナダを下し、銀メダル以上が確定した。







こんな活躍をしているのに、


日本のアホメディアは年度末のバラエティの特番ばかりだ。






おなか一杯のお笑いだけで、


特に目を引くものはほとんどない。







「不毛地帯」も終わっちゃたし・・。


ドラマも3月一杯がほとんどだしね。







健常者のオリンピックは、これでもかというくらいに同じ映像を流すのに、



パラリンピックに関しては特集さえもしていない。



これもアホメディアの「驕り」というものが如実に現れている証拠だろう。









介護で辛い思いをしている人に形ばかりの応援はしているが、



パラリンピックでの感動を伝え、



勇気を与えようなんて気持ちはさらさらないようだ。









彼らの中には生まれつき障碍を持った人もいるだろうし、



不慮の事故で体が不自由になった人もいる。



そんな彼らが障碍を持っていることを感じさせない活躍は、



私たちにも大きな勇気と希望を与えてくれる。










金メダルを獲得した新田選手は、3歳のときに祖父の運転していたコンバインに手を挟まれ、



左腕の肘から先を失った。



「大変なことした」と長年、その後悔にさいなまれてきた祖父に「金メダルをかけてあげたい」と



口癖のように言ってここまでたどり着いたのである。








人それぞれに背負ったものはある。



それを「何かのせい」「誰かのせい」にして努力もしない連中が言い訳をしているのを聞くと、



自分はこんな人間にはなりたくないと強く思う。








オリンピックが終わって次にやってくる「パラリンピック」の感動を、



メディアはなぜ伝えようとしないのか。








オリンピックのときはウザイほど熱い絶叫を繰り返すのに、



パラリンピックに関してはほんのちょこっとやるだけ。







さまざまな「差別」に関してまったくの無頓着だからこんなもんか・・。




















パラリンピックを観るたびに思う。




五体満足で「できない理由」を探す愚かさを。




足もある、手もある。




目にするものは何でも見られる。




美味しいものに舌鼓を打てる。




好きな人の声が聞こえる・・。












あること、できることが当たり前になると、



人はそのありがたさを忘れてしまう。









失って初めて分かる健康のありがたさ。








だからこそ、やれる可能性があるのならやらなきゃ。







別に失敗したって、命を取られることのほどでもないでしょ。



そのときは多少ショックかもしれないけど、また歩き出せばいいのだし、歩けるのだから。







自分の目指すものを見つけて努力する人には、



必ず応援してくれる人がいてくれるもの。







見ていてくれることが分からなくたって構わない。



いつか、きっと、誰かが微笑んでくれるから。







一番は、自分自身が心から喜べる。




それでいいんじゃないかな。










参加人数はオリンピックよりもはるかに少ないのに、



すでに「金1、銀1、銅4」の計6個を獲得した。



おそらく日本のことだから、支援の金額もぐっと低いだろう。



それなのにこの活躍である。








でもメダル以上に、ここまで来たすべての選手の努力に敬意を表したい。







大日方選手が病院に搬送されたようだが、その後の容態はまだ分からない。




まだあと4日ある。




全選手が怪我なくこの大会を無事終えることを願っている・・。