先日、おばあちゃんとお孫さんがご来店した。
おばあちゃんが「これはどう?」と聞いていても、
その子は返事をしない。
いろいろおばあちゃんが話しかけても頷いたり、首を振るだけ。
別に障碍があるわけではなく、何か物憂げな印象だった。
その日の東京は最高気温が6度ぐらいで、風も強かった。
「こんなみすぼらしいものしか着てなくて、本当に可哀想で・・。」
おばあちゃんはこう言うが、こちらとしてはなんとも答えようがない。
確かにあの日の寒さから見れば、ボアのジャケットとはいえ寒そうだった。
それにどう見ても新しいものとは到底思えなかった・・。
そうこうしているうちに、ようやく一つのジャケットを試着した。
「ほら、可愛いじゃない!」
でもその子の反応は薄い。
そこで「こっちに鏡があるから、見てごらん、可愛いよ」と話しかけた。
ちょっと恥ずかしそうだったが、ようやく笑った。
彼女も気に入ったらしく、それを着て帰ることになった。
レジで会計をしているときに、おばあちゃんが、
「内輪の話で恥ずかしいんだけど、この子の母親が亡くなってね。
父親が再婚したんですよ。
だから今こんな状態でね。
着るものもあんまり買ってもらえないからアタシも不憫でね・・。」
そんな事情があったのか・・。
「これで暖かいね。 まだ寒いからたくさん着てね。」
女の子の表情が少し柔らかくなった。
外に出たときもおばあちゃんが、「よかったね、可愛いのがあって。」と話しかけていた。
可愛い女の子だったね。
ちょっと日本人離れした目鼻立ちのはっきりしている子だった。
今置かれている家庭の状況は、彼女が望んだものではなかったのだろう。
天国に召されてしまった母親の面影が消えることはない。
それでも自分が頼るのは父親であり、後妻である新しい母親になる。
そのジレンマは経験したものでなければ分からない。
親の言うことが気に入らずに反抗できたりすることがどれほど幸せか。
気を使わずに好き勝手なことが言える母の存在がどれほどありがたいか。
自分も若い頃は母に反抗し、生意気な口を叩いてきた。
それも自分を産んでくれた母がいたからこそ。
反抗するなんて、母に甘えていることに他ならない。
口ごたえして、それを受け入れてくれた母に感謝するのはそれが過ぎてからだしね。
あの子に、「新しいお母さんに心を開いて欲しい」と願いたいが、
それは第三者だから簡単に言えること。
まだ小学生にそれを要求するのはあまりにも酷なことだろう。
今はまだおばあちゃんが健在だから、彼女の唯一の拠り所かもしれない。
でも、生活を共にするのは両親のもと。
心を開けない「我が子」に対してどんな風に接してくれるのだろう・・。
余計なお世話なのだが、彼女の気持ちを第一に考えて欲しい。
甘えてこられた母がいなくなってしまった心の空洞は、「両親」が埋めてあげるしかない。
将来を考えて、再婚を決断したのは大人たち。
それが子どもにとってよき判断であったことを願わずにはいられない。
店にはいろんな方が来る。
時にこうして家庭の深い事情を話す人もいる。
そのたびに思う。
自分の仕事はただ服を売るだけはないのだと。
「接客」は奥深い。
あらゆることを受け入れて、人に何かを与える仕事だ。
そしてそれは自分に必ず返ってくる。
その「何か」の答えは、25年経てもまだ見つからない。
追い求める「何か」がいつもあるから、この仕事を誇りに思えるのかもしれない。
ネット通販に魅力を感じないのはこのせいなんだろうな・・。(やらない言い訳か・・?)