息子の高校サッカー部のパネル写真ができた。


卒業するので3年生全員で写真を撮り、それをかなり大きなパネルにした豪華なものだ。






この企画自体はいいものだ。




しかし全員ユニフォームではない。




補欠選手はただの体操着で写っている。








他のユニフォームもあるのだという。



それなのに、記念となるこの写真にレギュラーと補欠が一目瞭然に分かるというのはいかがなものか。






ユニフォームが違えばそれは分かるのだが、


学校の体操着というのは差別以外の何物でもない。





下級生が写っているのではなく、あくまでも3年生のみなのに・・・である。






息子はこの監督をよく批判していた。



私は


「会社でも上司は選べない。学校でも同じ。その中で吸収するしかないんだ。」と教えた。



息子はレギュラーになったり落とされたりを繰り返してきた。



「○○高校に行かなきゃ良かった」とも言い出すことも・・。



しかし本人が選んで行った高校。



その言葉は「逃げ」でしかない。



それでも3年間、納得はいかなかっただろうが、サッカーを続けてきた。








そして最後は補欠で終わった。



だから体操着で写っている6人に息子が入っている。







息子は「指定校」で大学に合格した。



その際、「推薦書」を書くのだが、


その監督(担任でもある)は、その推薦書を生徒に書かせた。



本来は担任が書くべき大切な書類である。



それを生徒に渡し、


「お前ら、これは自分で書いて来い、あとでオレが清書するから」と言った。



他のクラスの担任はすべて担任が書いている。






このときに息子の監督批判の理由の一端を垣間見た。



そして今回の「記念写真」。






記念として残しておきたい写真は、「二度と見たくない写真」になる可能性がある。



一緒にプレーしてきた仲間との明らかな差別。



これを見るときに残る想いというのをこの監督は考えたことがあるのか。



もちろん親も見るだろう。



他の親はどうか知らないが、私はこの仕打ちともいうべき行為に怒りを覚えた。








自分の息子が写っていてもいなくても、


生徒自身の想い、これを見る親の想いを思えば、


「そりゃ実力の世界だから」だけで済ませることはできない。


高校はプロじゃないんだから。







全国大会に出ている高校は、全体写真で100人の大所帯でも全員ユニフォームを着て写っている。



もしレギュラーでなければ写らないだけのこと。





一人ひとりのサッカーに寄せる想いに上下はない。





最後になってまでこのような対処しかできない監督の考えに、


ようやく息子に言っていたことが分かった気がする。






だからと言って一緒に監督批判なんてしないけどね。


それをやったら息子にとって何の教訓にもならないから。








大会も終わり、もう高校サッカーは引退したのだが、


息子は今でも練習に参加している。






大学でもサッカーを続けると言うのだ。






小学校1年からサッカーを始め、


中学生のときはクラブチームに入った。


そして高校もサッカー部に入り、合計12年間サッカーを続けている。







その間、息子は安定したレギュラーになったことは一度もない。




しかし練習は一度も休んだことがない!(これ本当!)




高校ではベンチにも入れない状態もかなり長い期間あった。




それでも大学でサッカーを続けるという息子の想い。








大きな大会で活躍したこともなく、レギュラーになれた期間もごくわずかであっても、


息子は本当にサッカーというスポーツを好きなのだろう。






Jリーグで活躍する選手だけがサッカーを好きなのではない。




その人たちの努力と比べれば劣る部分はあるかもしれないが、


サッカーをこよなく愛する者は必ずいるのである。







生まれたときから反抗期が続く息子であるが、


やるべきことはやってきた。






口の聞き方はいまだに腹が立つ息子ではあるが、


この想いは大切にしてやりたい。






続けることの大切さ、厳しさを、


家族の中で一番知っているのは息子かもしれない・・・。







たった1枚の写真。






3年間のサッカーの想いがこれに詰まっているとは思わないが、


この写真をバネに、将来どの世界でもいいから、


「一流プレーヤー」になるために生きていって欲しいと願う・・。