昭和生まれの人には馴染み深いだろう。




学研の「学習」と「科学」。




このたびこの2誌は休刊ということになった。


時期はずれるが、2誌とも今年度中に休刊である。




小学校の頃は、学校で注文をとっていたっけな。


学校の授業とは別に学ぶ点がたくさんあった。



もちろん付録目当てだった。



毎号違う付録が楽しみで、特に1月号は新年ということで付録もたくさんついていた。


新年度の4月号もいろいろ楽しいものがあったよね。


夏休みの自由研究などは、それで済ませていた友達もいたよなぁ・・。


あ、自分はやってません・・。






遊ぶものといえば、外での鬼ごっこや缶けりが主だった。


家の中にいるなんてもったいないと思っていたぐらい。





ちょっとでも場所があればグローブとバットは必需品。


みんな暗くなるまで遊んでた。





そして月に一度の「学習」と「科学」の付録を作ったり、


読み物も面白かった記憶がある。




だから「創造力」は今の子どもたちよりもはるかにあった。


もちろん体力もそう、病気に対する免疫力もね。





「暗くなったら遊びはおしまい」という「ルール」があった。


大人が追い立てることなんてしなくても、


腕白な子供たちは必ず家に帰ってきていたのだ。


だから親が心配するなんてことはあまりなかった。






もちろん怪我もした。 けんかもした。


でもそんなことでいちいち親がでしゃばってくるなんて恥ずかしかったよね。





遊ぶものが少なくても、それに操られることなどまったくなかった。




今はモノがはるかに豊富なのに、


ケータイやゲームに、大人も子どもも「操られて」いる。





時間を区切って物事を行うことができなくなった。



「ながら族」なんてことが言われたときがあったけど、


それは今のだらだらした生活とはまったく違ったものだった。





パソコンもケータイもとても便利で、もちろん自分も使っている。




しかしケジメをつけて、それをやる時間とやらない時間ぐらいは分けている。


私にとってのケータイは、あくまでも連絡用。


iモードは付けているが、これはメールだけで、ネットはまったくつながない。


まぁ、メールもほとんどパソコンだから、めったにやらない。


娘はあまりにも返事が来ないから、もう私にはメールしなくなった・・。





あるものを使いこなすのと、あるものに使われるのとはまったく違う。




使いこなしている人には大変失礼だが、


使われてしまい、時間を無駄にし、時にはそのために命まで無駄にしてしまう人もいる。





「学習」と「科学」をみんなが読んでた昭和のアナログ時代。




便利なデジタルは、人の心を貧しくしてしまったようにしか思えなくなった。




利便性を求め続けた結果、考える力が乏しくなってしまい、


やがて人の痛みさえも考えなくなってきた・・。





時代は移ろい行くものなんだね・・。