【動画】長崎で64回目の「原爆の日」 世界の人々に“核廃絶”呼び掛け





長崎にも64年前の今日、午前11時2分にプルトニウム原子爆弾が投下された。



広島に投下されたのはウラン原子爆弾である。





この日本に2つの原子爆弾が投下され、多くの尊い命が奪われた。



長崎での被爆者で、この1年で亡くなった方は3304名。



これで亡くなった方は14万9266名となった。







われわれは「もう戦後とは言わない」と言う。



しかし、被爆者にとっての終戦は永遠にないことを肝に銘じておかねばなるまい。



原爆認定集団訴訟の原告である被爆者の方々は、



勝訴か敗訴かで線引きされるという、なんとも理不尽な決定でも甘んじて受けている。



ましてや、原爆投下によって被爆した人たちは半径3.5キロ以内という線引きまでされている。



「死の灰」となったきのこ雲は被爆地から10キロ以上も離れた場所に住んでいた人にも降りかかり、



そして飲み水、作物も放射能に冒され、被爆しているのである。
















国はそこには目を背け、なるべく補償金を払わないように仕組んでいる。



こんな事実もあるのに、「異例のこと」だのと恩着せがましく話す阿呆太郎は万死に値すると言うものだ。







こんなことを絶対に繰り返してはならない。



核廃絶は世界共通の約束にしなきゃならない。



だから現在の平和憲法である「日本国憲法」の改正などあっていわけがない。






時代の流れで国会での法規の改正は必要になってくるかもしれない。



しかし「9条改正」をすれば、自衛隊は「軍隊」として活動できるようになるだろう。






そうなればまた「徴兵制」が復活する事だって十分にあるのだ。



「攻められたら誰が守ってくれるんだ」なんて極論を言う輩もいる。



そうならないように国際協調をおこうなうのが「人間」のやることじゃないのか?






「9条改正」となれば、特にアジアの人々は、あの太平洋戦争での日本の殺戮の再現を懸念するだろう。













いったいこの世界で何のために軍隊を強化するのか。



国を護るため?



本当に軍事力で国を護れるのか?



軍事力で人の命が救えるのか?





非暴力や差別撤廃を訴えた偉人の存在は教科書だけのことなのか?










これまでに人間は何を学んできたのか。



これ以上の軍事力強化なんて、命を奪い、家族を奪われるだけのものだ。






広島・長崎での平和祈念式典はただの慣習でやっているものじゃないはず。



本当に平和を訴え、核廃絶を訴える機会なのである。






そこに出向いた世界の要人たちは、そのことを本当に胸に刻んだのかははなはだ疑問だ。



平和式典で合掌した連中が、次の日には「集団的自衛権」の解釈を巡って論議するんだからね。













世界に向けて、日本が本当に平和を祈る国として示すなら、



まずは防衛費削減、新たな武器製造の禁止ぐらい打ち出すぐらいじゃないと話にならない。



これをやらないのは紛れもなく「防衛利権」に群がる連中がいるからである。








軍事力強化が平和と表裏一体であっていいはずがない。



64年も平和を祈念してそれに気づかないとは、なんて愚かなんだろうね・・。