いよいよ、今日明日で今年も終わりである。
年々、大晦日とか元旦とか感慨深いものは少なくなってきたが、
それでも「新年への心の切り替え」としてのきっかけになるのは間違いない。
毎年反省はするが、それが翌年に改善し、向上してきたかといえばそうでもない。
しかし、今年は違う感覚がある。
今までは「何が悪かったのか」が漠然としていた。
今年は「何が悪かったのか」がはっきり見えた。
「心の余裕」を持つことの意味が分かった。
ただ「眺めていた」ものを、「しっかり見る」こと。
これが土台になった。
ちゃんと見るから、答えが導き出せる。
それによって、何をなすべきかが分かってくる。
なすべきことが分かるから、周りも余裕を持って見られるようになった。
不思議なもので、去年やろうとしてできなかったことが今年はできていることが多かった。
在庫が多いから展示会発注を少なくする
これができていなかったのである。
今年は、それをしっかりやれた。
売上げは昨年に及ばなかったが、仕入れ金額を大幅に抑えたことで資金繰りも改善した。
来年は更にその効果が現れてくるだろう。
次にやることは「客数増」である。
ただ安いものを並べれば買ってくれるわけじゃない。
生活必需品じゃないしね。
考えようによっては子供服は毎年買わなければならないものだから、必需品か?
これからはネガティブ要素の考え方はなるべく排除しよう・・。
とにかく、どうやったら売れるかよりも、どうしたらお客様が来てくださるか・・である。
考え方というのは、自分の心の在り方でまったく変わってくる。
知識武装も必要なのだが、
人の心を動かすのは「心」でしかない。
どんな立派な理論でも、究極は先人の教えを伝えているだけ。
自分で何を感じたか
それを自分の言葉で伝えたか
感じ方は人それぞれだが、人間の傲慢さを押し出しても「心」には響かないだろう。
日々の仕事「だけ」では、人が本当に成長することはないようだ。
小さきものに何を感じるか・・。
木を見て森を見ず・・・これをやることが大切だと教えられてきたはずだ。
しかし、大局ばかりに目が行き、小さきものの営みを蔑ろにしてきたのは人間ではないだろうか。
大自然の中では、まさに人間は「小さきもの」なのである。
つまりそれは、「人間は大自然の一部でしかない」ということである。
その一部が知恵を持ったために、母なる大地や海を汚して破壊してきた。
そうはいっても、今すぐに大それたことはできない。
やれることは、無駄を無くすことだ。
日々の仕事に置き換えても同じである。
資源も無限ではない。 資金も無限ではないのである。
「効率」だけを考えるのとは意味が違う。
大自然に畏敬の念を抱き、ちっぽけな人間の傲慢さを猛省することが大切だ。
その上で、無駄を無くすことを考えるのである。
ブログを毎日書くことで、いろいろなことが見えてきた。
人も自分も。
このつながりを大切にしつつ、1歩1歩進んでいきたい。