4人の記憶、今も鮮やか=事件から8年、解決訴え-世田谷一家殺害の遺族が講演




私が独立したのは2001年。 事件の1年後であった。




まだ事件は鮮明に残っており、店にいた私も事情を聞かれた。(現場はそんなに遠くない)


指紋の協力までしたっけな。



捜査に来た刑事は、「なかなか協力していただけなくて・・。」と言っていたが、

そりゃそうだろう。



初動捜査の不手際は歴然としているのだから、



世田谷に住んでいれば、また現場が近くであれば尚更、

年末になれば「あれから○年か・・。」と思い起こされる。




世間がミレニアムで浮き足立っていた年末を襲った大事件であった。



犯人の遺留品が残っていても、大量生産のため何一つ手がかりにならない。


宮沢さん宅を襲ったのは偶然なのか、狙ったのかも分からない。




犯行から8年が経とうとしており、時効まで半分が過ぎてしまった。


今後犯人に繋がる新たな証拠が出てくるのだろうか。


時効が成立してしまえば、捜査は終わりである。




遺族にとってみれば、15年経てば罪がなくなるのと同じである。


こんな理不尽なことがまかり通ってしまう・・。





幸せな家庭から全てを奪い、今おそらく犯人はどこかで生きている。



絶対に天罰が下ると思っていてもそれは願望でしかない。


でも下って欲しいが・・。








だから思う。




どんなに生活が苦しくても、家族で新年を「普通」に迎えられることがどんなに幸せなことか・・。



笑って過ごせる、当たり前の日常が今ここにある。



わがまま言っている子供たちを叱っていられる幸せもある。





忘れがちな「当たり前の幸せ」に感謝しよう。





朝の太陽に出会える「いつもの自然」に感謝しよう。








こんな話を知っているだろうか・・。






独りぼっちになった男がタイムマシンに乗れることになった。


どこでも行けるという。


大金持ちにもなれるし、美女に囲まれる生活も選べるらしい。


だがこのタイムマシンは永遠ではない。


つまり「最後にしたいこと」を選べるタイムマシンだった。





彼が選んだのは、上司にいびられ、仕事に追われ、

家に帰れば妻に叱られ、いうことを聞かない子供たちと過ごした「当たり前の生活」だった。



「オレは、この生活が一番幸せだった・・。こんな当たり前の生活がどんなに貴重だったか・・。


もう思い残すことはない。 ありがとう・・。」






これは驕り昂った生活をしている現代人への教訓である。


人は感謝することを忘れている。


だからこれを忘れずにしなければならない・・。





たまに思い出すからダメなんだな、オレは・・。