世間では「クリスマス」でなにやらめでたいらしいが、
悲しいかな、こういったことにやけに関心がなくなってしまった。
学生の頃はクリスマスが楽しみで、付き合っていた彼女にプレゼントを買っていた。
そんな世間と同じになれることが幸せだったんだろうな。
子供たちが小さいころは、サンタになってプレゼントを枕元においてあげたりしていた。
モノが大きい時は、クリスマスカードをわざわざベランダに置いたりね。
そのカードを喜んで持ってきて、
「『お父さんに自転車買ってもらえる券』が入ってたよ! お父さん、自転車買って!」
その喜びようはハンパじゃなかった。
それがまた嬉しかったな・・。
今はもうその役目が終わったためか、クリスマスを祝う気にはまったくなれない。
というのも、歳を取ったわけでもなく、僻んでいるわけでもない。
我が家は、もともと浄土真宗である。
そういったことに目覚めてきたからだろうか。
クリスチャンでもない自分が、何でキリスト誕生を崇めているのか、そっちのほうが不思議に思える。
そう思うようになってきたのは、日本の歴史に深く係わったからだろう。
独立してから、ビジネス書を読み、「太閤記」も読破した。
後藤新平という人を知り、出光左三の人生に感銘を受けた。
明治の偉人の業績に胸打たれ、日本人がかつて持っていた気概を感じた。
大河ドラマ「篤姫」にのめりこんで、当時の歴史も自分で調べたり、
「その時歴史が動いた」を楽しんで観ているために、
日本人として、日本の歴史に誇りを持てるようになったからかもしれない。
そういった中で、何故クリスマスで浮かれるのかが不思議に思えてきた。
これこそまさに個人の自由。
人は人。 クリスマスを楽しみにする人を否定なんてことはまったくしない。
異文化を取り入れることも自由であり、
それにあやかって商売をするのも自由である。
自分もかつてはクリスマス商戦に参加して、それを年末の売上げとして計上してきた。
今年は、クリスマスのディスプレイもしなかった。
商売する人全てがクリスマスに乗らなきゃいけない理由もないだろう。
ただ、自分はもうクリスマスという行事に「参加」することはしたくなくなっただけだ。
クリスマスが好きでも嫌いでもない。 そうなっただけ。
年末は静かに迎えている。 仕事しながら。
年内は休みはもうないが、日本人としての年末年始を考えて過ごしていことになるだろう。
人から見れば、ただの「ひねくれもの」なんだろうけどね・・。