北京オリンピックも後半になった。
開催前のテロ行為や、チベット問題、四川大地震など懸念された諸問題があったが、
今までは大きな支障もなく競技が進んでいる。
報道規制や、開会式の足あとCG、「口パク」、
民族融合を強調した衣装を着ていた子供たちは漢民族だけだったなど、
中国ならではの見せかけ要素はあったが、競技自体は滞りなく行われている。
これは安心できた。
開催自体が危ぶまれていたから、今後もこのまま進んで欲しいものだ。
メダルの数云々はまだ開催中だから差し控えるが、
女子マラソンのアクシデントの対応に疑問を覚える。
野口みずき選手のケガでの参加辞退や、
土佐礼子選手のケガでの棄権は、本当に突発的な出来事だったかもしれない。
しかし、競技は人間がやるもの。
4年に一度の大会に、選手の補充が全く出来ないのはいささか不思議な思いがする。
補欠で選ばれていた選手の登録解除を7月末に行い、
この選手は練習をそれ以来やめている。
それは当然だ。
これで何があっても参加できないと思えば練習はしないだろう。
土佐選手の外反母趾の痛みは大会前に分かっていたはず。
しかし野口選手の辞退で「自分は走らなければ・・」と責任感を感じたはずだ。
結果、土佐選手は痛みに耐え切れず25キロ過ぎに棄権となった。
フルマラソン2度目の中村選手の13位は大健闘だろう。
協会の後手後手の対応に、選手たちは犠牲になったようなものだ。
確かに自己管理の責任はあろう。
だが、1選手の問題だけで考えるから、こんな情けない結果になる。
国として3選手送り出せるのに、それが出来なかった。
そしてケガが分かっている選手を無理に走らせた。
たとえメダルが取れなくても、3選手が完走する最低限の目標まで消し去ってしまった。
これが4大会連続でメダルを取ってきた国のやることか?
これでは次に続く選手にも悪影響を与えかねない。
選ばれたら何が何でも参加「しなければならない」というプレッシャーである。
もちろん代表になるために皆きつい練習をやる。
そして晴れて代表になる。
だから「メダル」に向けて更に練習を重ねる。 故障と隣り合わせの生活である。
自分もメダルを取るためにきつい練習メニューを課して、取り組む。
そして野口選手は「パンク」してしまった。
せめて補欠の選手がいれば、少しは「出られなかった責任感」から開放されただろう。
だが、補欠はいなかった。
野口選手の立場になれば、自分が間際にケガをしてしまったことの後悔は
すでに自分だけの問題ではなくなっているはずだ。
アテネで金メダルを取った大功労者に、国の責任をおっ被せているのと同じなのである。
また補欠の選手には、最後の最後まで登録解除をしないことだ。
出られるかどうかは分からない中で練習をさせるのは酷かも知れないが、
本人が現役を続ける意思がある限り、その練習が「無駄」になるとは思えない。
「補欠」に選ばれていることも名誉なことであると決めればいい。
3人が3人ともケガで出られなかったどうするのか?
日本という国は政界もスポーツ界も「危機感」というものが全くない。
「まさか」の坂はいつでも見えないところに潜んでいることを、
会議室でアタマを寄せているお偉いさんたちは、これを機会に知るべきだろう。