終戦から63回目の夏―「嫌日」と「嫌中」を越えて




敗戦し、その後急成長を遂げたニッポン。


戦争を体験していない私たち。


でも、その歴史を知らずに過ごしていくことは出来ない。



63年前、まだ少年少女であった現代の高齢者は、「老い」と闘い生きている。


今の日本を支えてきた人たちが今、安心して暮らせる世の中になっているのだろうか。




今年の5月、親友と共に「靖国神社」に行ってきた。


遊就館の中をくまなく見学した。 参拝はしなかった。 する理由がないからである。


日本の戦争の歴史がそこにあった。

賛否は言うまい。 ただそこにある事実を事実として見ればいいのだから。




国際化の中で、世界の歴史が重視されているが、

この日本の歴史をしっかりと学ばなければ、国際化の中で生き残っていくことは出来ない。




記事にあるように、戦争を知らずに育った人でも、

「侵略国・ニッポン」を恨んでいるが人多いことを知らなければなるまい。




日本の論理を刷り込むのではなく、事実を直視し、

何が悪く、何が良いのかを判断できることが大切なのだ。




何故日本は戦争に向かって生きていたのか。


ミッドウエイ海戦などでの惨敗を大本営は何故歪めて報道したのか。


竹やりでB29と闘えと言われて、それを鵜呑みにした(せざるを得なかった)国民が大半だったのは何故か。



昭和の戦争は、日本人であるなら、避けて通ってはいけない歴史なのである。


被爆地の広島、長崎だけが犠牲になったのではない。


東京でも、横浜でも函館でも、全国各地で空襲があったのである。


そして沖縄や硫黄島での戦闘。


沖縄は本土決戦の盾とされて、多くの被害と犠牲を生んだ。




「ひめゆり隊」の悲劇を知らないで、平和を語ることは出来ないだろう。



いわまくら かたくもあらん やすらかに

ねむれとぞいのる まなびのともは



今でも覚えているこの歌。 中学2年で沖縄に行ったから、もう33年も経つ・・。




この歌を読んで感じることがあるだろうか。

それとも何も感じないだろうか。



今、温かい布団と枕で眠られる幸せを感じなければならない。

この当たり前と思っている幸せを。




沖縄の南部戦跡、摩文仁ヶ丘・・。

そこに「ひめゆりの塔」がある。




沖縄でバカンスを楽しむのもいいだろう。

ただあの青い海と空は、63年前は戦火に包まれ、多大な犠牲者がいたことを学ぶことは大切なのだ。





そういった多くの事実があって、63年前の今日、戦争が終わったのである。





今はネットで何でも手に入り、夜に出歩いてもコンビニがある。

不夜城といわれる新宿で、享楽に溺れている人がいる。



「道徳」は失われ、我慢のできない大人と子供が誕生し、

「誰でもよかった」と刃物を向け、親兄弟、我が子にでさえ手をかける。



親は「ネグレクト」となり、ケータイに没頭する。



子供はゲームに没頭し、リセットが刷り込まれ、人を殺すことに躊躇がない。



心の痛みを知らない人間が跋扈し、無気力、無関心となり、

自分さえ良ければ他人はどうなっても構わない人種が増殖した。





この集大成が今の政府である。



選挙のためなら何でもやり、利権だけは守り、税金の無駄は無くそうともしない。




部下である閣僚に苦言のひとつも言えず、

他人事で全て済ませて、メディアはそれに乗っかるだけの体たらくがいつまでも続く。




戦争を体験した人間でさえ平和ボケとなり、自己保身のために国民に負担を強いる。




怒りを持たない国民は、「何とかしてくれるだろう」と現体制からの脱却を心から望んでいない。




63年前の痛み、屈辱、閉塞感、絶望から立ち上がった自分たちの祖先がいる。


その誇りを胸に、生きていけばいい。





だからこそ、昭和の戦争の歴史を誰もが語る日本であって欲しいと切に願う。