「御巣鷹の悲劇」から23年。
「生きたくても生きられなかった」尊い命に手を合わせる人がいるのに、
「生きる権利」を奪うバカ親がいる・・。
勝手に作り勝手に産んで勝手に命を奪う。
こんな身勝手な人間に育った原因は何なのか。
命を軽んじるこの犯人の生い立ちなどはどうでもいい。
犯罪に及んだ精神状態もどうでもいい。
こんな人間になる要因が今の日本には存在する事実を、
私たちは認識しなければならないのである。
「生」と「死」。
悲しいが人間の死亡率は100%である。
だから「死」というものと向き合って生きていかなければならない。
そして「死んだら終わり」なのである。
自分という個体は「生き返る」ことは100%出来ないのだ。
だから「生きる」ことを全うするのである。
そしてその権利を何人たりとも奪う権利は絶対にないのだ。
「死」に対して、怖いとか嫌なことと誰かが教えたのか?
昔からある「怪談」は教訓なのである。
「生きる権利」を奪うことはいつか自分に罰が下る。
ただ「怖い話」だけとしか教えないから、また教えられないからこの話から逃げる。
今大事なのは、「生」と「死」に逃げることなく向かい合うことだ。
バーチャルなゲームに没頭し、
「死」に対して希薄になることをすり込んでいる大人に大きな責任がある。
そして何度も言うが、「道徳教科化」が急務 なのである。
女子柔道で銅メダルと獲得した10代の選手のあの受け答えを見ると、
冷めている以上にうすら恐ろしいものさえ感じる。
世界各国で代表になるためにしのぎを削り、
そしてトーナメントで勝ちあがって、表彰台に上るのはたったの3人である。
こんな価値あるメダルなのに、「金以外は同じです」なんて答えるのなら、
なぜ3位決定戦を棄権しなかったのか。
他に銀、銅を獲得して喜んでいる選手に失礼である。
銅メダルが価値のないものなら、負けた時点でさっさと帰れ!
これも周りの大人が悪いのである。
「道徳」を教えられない、教えていないから目指してきたもの大してあんな軽い返事しか出来ないのである。
自分にとって「大事なもの」を大切にしたい気持ちがないから、
わが子に手をかけたり、目指すものに対して自己評価が出来なくなる。
平等に生きているのになんと悲しいことか。
わが子がこんなことにならないように、
「心のぶつかり合い」はこれからも続けていきたい。