テロリストにとっては人が集まる場所であればどこでも構わないのは分かっているが、
なんともやりきれない。
宗教というのは、神があり、教えは「人を救う」事ではないのか。
しかしテロリストは、それを歪め人を陥れる。
命を奪うことにも躊躇が無い。
宗教観の違いから争いがおきているのは歴史上にもある。
自分の信仰する「神」だけが絶対であり、他は野蛮だと言うような自分勝手な解釈が存在する。
自分が信仰するものを人に押し付け、拒めば命を奪う。
これが宗教なのか?
考えれば考えるほどに「宗教」というものに傾くことはしたくなくなる。
祖先を敬い、供養することだけなのに何故そこまでするのか。
不思議なのは、テロ根絶を訴える国が多いのに、テロリストが多くの武器を持っていることだ。
一体誰がテロリストに武器を渡しているのか。
武器を作る工場でもあるのか。
ウサマ・ビンラーディンは、アメリカが育てたテロリストと言われている。
力を誇示するためにアメリカは戦争を仕掛ける。
そのためには利用できるモノや人は何でもいいのだろう。
そして今、北島康介や谷亮子などが集う北京で「宣戦布告」までしてきている。
このまま普通に競技が進み、メダルに湧くいつものオリンピックであって欲しい。
選手たちに余計な不安を抱かせれば力を出し切ることも出来ない。
4年に1度しかないのだ。
これを逃せば次のオリンピックには出られない人もいるのである。
そんな思いは人の心を持たないテロリストには通じない。
この声明が、ただのたわ言であって欲しいと願うばかりである。