そんな軽い命だったのか?
人を誹謗中傷して、それを叱責されて、それで自ら命を絶つなんて、
なんという親不孝なことか。
教師が「死ね」「バカ」と言ったかどうかなど大きな問題じゃない。
どの道、言った言わないの水掛け論にしかならない。
死の間際に書いたことは本当かもしれない。
しかし、叱責された腹いせに書いたのかもしれない。
「自分が死んで、これを書けばあの先公が辛い思いをするだろう」と考えたのかもしれない。
死人に口なしである。
遺したものを唯一のものとして取り立たすのは、問題の根本を歪ませることになるだろう。
若いものの自殺ほど、空しいものはない。
何も残らないどころか、親より先に逝くという大変な親不孝しか残さない。
「命」
これを若者にどう教えていくことができるのか。
親の躾もあるだろう。
そして学校教育もあるだろう。
だからこそ、「道徳教育」が今こそ大切なのである。
自分の命、他人の命。 どちらも大切だ。
そしてそれを誰も奪ってはいけないのだ。
自分が自分の命を、自分が他人の命を、他人が自分の命を、他人が他人の命を、
奪うことはあってはならない。絶対にあってはならないのである。
今この瞬間に起きている争い、命の奪い合い。
こんなことが何故起きているのか、起きなきゃならないのか。
子供に命の大切さを教えるために、戦争の悲惨さを伝えていくことは必然だろう。
それを大人が知らない、知ろうとしない。
ヒロシマの惨劇の写真を見たことが無かった「フフン総理」など最低な大人である。
こんな大人がどうやって命の大切を教えられるのか。
利権にしがみつくアホな大人が今日本の宰相として飾られている事実を見過ごしてはいけない。
親からもらった命は、自分が親となって次世代に受け継ぐ義務が私たちにはある。
生きとし生けるものは、そうやって歴史を作ってきた。
だからこそ「命」は尊い。 地球よりも重い。
その意味を子供たちに「道徳教育」で教えていくことは大人の努めである。