
サラリーマンの頃や独立して間もない頃は、「ポイ捨て」を毎日やっていました。
「水溜りだから火は消える」とか、「この辺は人が通らないから」とか、
「排水溝に捨てるから大丈夫」とか、自分勝手な都合でそこらじゅうに捨てていました。
自転車に乗りながらのポイ捨ても結構やっていましたね。
ホント、今思うと人の迷惑顧みず、ろくでもないことをしていたと猛省しています。
独立して、毎日経営している店の店頭を掃除するようになり、
タバコの吸殻の多さに自分の姿を重ねました。
「オレもこういう人たちと同じ事をしていたんだな・・」と。
誰かが捨てれば誰かが片付けることになる。
「ついで」かもしれないが、掃除する人の気持ちは決して穏やかではない。
「こういう常識知らずが後を絶たない」と思いながらホウキをかけている。
そのタバコの火のために、片付けた人の家が燃えてしまうことだってあるかもしれない。
火種がしっかり消えたかどうかが分からずに、とんでもない結果を生んでしまうことだってあるかもしれない。
実際まだ消えていないタバコが落ちていることも多々あります。
それから、まず自転車に乗りながらの喫煙をやめました。
するとすれ近いざまのたぼこの煙と臭いがやたら気になるようになったのです。
動きながらタバコを吸うと、こんなに嫌な思いをするんだということに気付いた。
そして「携帯灰皿」を持つようになりました。
もちろん「歩きタバコ」も一切やらなくなりました。
自分がタバコが好きでも、周りの人は好きな人ばかりじゃない。
愛煙家でも、分煙を心がけ、人の迷惑にならないようにタバコを吸っている人もいる。
嗜好品ですから、タバコを吸うのはその人の自由です。
でもその自分の好みを人に押し付けるように理解を求めるのは間違っている。
タバコに限らず、すべてのことに言えることです。
今は、人ごみの中や移動しながらの喫煙は一切していません。
意外と禁煙の席での食事も苦にならなくなりました。
どうせ吸うなら、ゆっくりと落ち着きながら一服するのが一番です。
愛煙家でありますが、分煙は愛煙家の条件なんだと言えますね。