我が家には仏壇はない。
両親も健在であるので必要ないからである。
しかし、実家にはもちろんある。
祖父母や伯母の位牌が納められている。
お墓は実家近くのお寺にある。 宗派は浄土真宗である。
そこの住職である女性の方の説教を聴く機会があった。
「宗派は関係ない。御仏に手を合わせる気持ちこそが大切なのです。」
「作法を間違えても気にすることはありません。失礼のないようにすればよいのです。」
他にもいろいろあったが、大切なのは祖先を敬う気持ちである。
盆と正月、命日にはお墓参りに行く。
実家に行ったときは、仏壇で手を合わせる。
母は、月命日にも必ず墓前で手を合わせている。
我が家のお墓は、母の手入れが行き届いているために、どのお墓よりも綺麗である。
どこで手を合わせても構わないが、やはり魂の眠る場所でやるのが一番いい。
宗教を信じるとか信じないとかは個人の自由だが、
祖先に対する感謝の気持ちを持って念仏を唱えることは、ごく当たり前のことだと思う。
こんな記事があったので、ブログに書いてみた。
信じないからと言って、仏様を蔑ろにしてはいけない。
自分が今いるのは、祖先があったからこそに他ならない。
墓参りにも行かない、手を合わせるなんで「面倒くさい」などと考えてはいけない。
「死んだら関係ない」のではない。
死者を「葬る」ことは人が太古の昔から続けていることである。
そしてその魂は自分たちを見守ってくれているから、
また見守っていて欲しいから、仏様に手を合わせるのである。
日々念仏を唱えるまですることはないが、
祖先の命日や、年の初め、盆ぐらいには敬虔な気持ちを持ってもいいはずだ。
人はそうして、魂を大切にしてきた。
日本人の多くが祖先を敬う気持ちがある。
お墓に眠る祖先がいる。 散骨で海に眠る祖先もいる。場所こそ関係ない。
愛する人が眠る場所はそれぞれだが、時に思い出したときに、手を合わせていたいものである。
合掌・・手を合わせると、心が落ち着くものですね。