
時代は変わった。
昭和の時代には携帯なんてものはなかった。
惚れた相手に告白する時は、直接言うしかなかった。
相手の顔がどうして見られない時は電話。
とにかく自分の思いを伝えたい時は手紙だった。
それが精一杯の気持ちを伝える手段だった。
「アナログ」でしか伝えられない時代。 今思えばとても「人間」らしかった。
面と向かって、「付き合って欲しい」「オマエのことが好きだ」と言うときのドキドキする気持ち。
相手の表情を見逃してはならないとじっと見つめた時の切ない想い。
OKであればその場で喜び、ダメであれば笑顔を見せて「ありがとう」って・・。
電話の時でも顔が見えないだけに、相手の言葉の微妙な変化を聞き逃すまいと耳を澄ます。
あの自分にしか分からない「空気」の緊張は、手と耳に当てた受話器の汗が物語っていた。
下手な字で、自分の想いを書き綴ったこともあった。
素直な気持ちを書こうとする気持ちと、どれだけ「貴方」を好きかという気持ちが入り組んで、
何枚も書き直してようやく書き上げる。
自分で渡せば良いものを、好きな人と仲のよい女の子に頼んだりして、
「やっぱり自分で渡せばよかった・・」と後悔したり・・。
そうなれば相手も手紙で返してくる。 分かってていてもなぜか寂しい。
一度だけ手紙で渡したが、「ごめんなさい・・」って書いてあったなぁ・・。
古い人間といわれればそれまでだが、やはり自分の思いを伝えるのは直接が一番だと信じている。
携帯という便利なものに乗っかって、自分の大切な思いを伝えるのはどうも軽々しく感じてしまう。
人の気持ちはもっと尊いもののはずだ。
表情を互いに見せ合って思いを伝えるからこそ、その思いが本物かどうかが伝わる。
また、相手の気持ちがまさしく手に取るように分かるのである。
なぜ携帯で告白するのかは理解できない。
相手の都合を知ることが面倒なのか、それともその場に行くのが面倒なのか。
「本気」で付き合いたいと思うのなら、惚れた相手の顔を見て告白する「勇気」が欲しい。
携帯はあくまでも一方通行である。 返信が遅ければ気になってしょうがないらしい。
そんな携帯に振り回されることにやきもきするなら、「本気」でぶつかる少しの「勇気」を持つべきだろう。
たとえ携帯で告白してOKが出ても、どの道、その人と会うことになる。
だったら、初めから直接言ったほうがいいんじゃないのかな。 人間なんだから。