母殺害の次男、7年前には父親を殺害


なんと言う事件なのか・・

自分を生んでくれた両親を自らの手で殺めるとは、もはや人の心を持っているとは思えない。


父親を殺害したのが16歳だったということで、犯人は22歳にもかかわらず名前は出ない。

すでに刑に服したとはいえ、この時点での事件であれば実名報道が妥当だろう。

日本はいつまでたっても「加害者の人権擁護」から抜け切れない国だ。


犯人の心の闇は分からない。分かろうともしない。

こんなことを分析して、責任能力を鑑定する理由は見当たらない。

親殺しの罪をどんな屁理屈を並べ立てて減刑するつもりなのか。


少年法なんていうものがあっても、結局はこんな結末が待っている。

誰もが再犯するわけではないが、その確率が高いことも確かである。


「更正」を期待して社会に出ても、父親だけでは満足せずに母親にまで手をかけたのだ。

これでまた「更正」の余地ありだの、責任能力がないだの理由がまかり通るのか。


今の日本の極刑が死刑であれば、両親とも殺めた罪はそれが妥当である。

精神状態云々の問題ではない。 しかし、日本の裁判ではそれが争点となるだろう。


ただ、死刑となっても刑が執行されるまでは普通に3食食べられ、寝ることも出来る。

懲役刑となれば、またいつかは社会に出てくるのだ。


話はそれるが、死刑よりも「無期限の強制労働」の方がきついんじゃないだろうか。

それも危険地帯での強制労働である。 地雷除去作業とか極寒地だけで働くとか。

人がやるにはかなり辛い作業を死ぬまでやらせる。

刑務所が快適だからまた戻ってくる輩もいるくらい、日本の刑務所の設備は良いらしい。


こんな犯罪者にもわれわれの税金が使われているのだ。

罪を犯したら、満足に飯も食えない強制労働が待っているほうが、犯罪抑止力になるはずだ。

極刑の判決が出たら、有無を言わさず労働地へ強制送還。

その身柄は国連に委ねられる。 二度と日本の地には戻れない。


人の人生を奪ったのだから、それ相応の事はしてもらいましょうということだ。


罪の度合いによっては、年数が決められる。

殺人は無期限、傷害は10年、窃盗でも1年は行かされる。

どんな更正機関よりも、人間が変わることができるだろう。


「主文、被告を無期限の強制労働に処する。」


誰もが青ざめるだろうな。