いつになっても我が子は可愛い。
たとえ結婚し、家庭を持ったとしても気になるのは親心である。
時に電話を子供のほうからかけて安心させてあげたり、
親のほうからさりげなく様子を窺う電話をしたり・・。
お互いの気遣いがあるから、安心して話が出来るようになる。
この記事には、そんな「気遣い」は一切感じられない。
大学生にもなって、こんな「おせっかい」をしているバカ親がうじゃうじゃいるとは呆れたな。
子供が可愛いというより、親の「自己満足」のためにいちいちでしゃばってくるのだろう。
親自身が大学に対して納得できない。
記事にもあるような、こんなくだらないことで大学に出向いたり電話をしたりするのは、よほど暇なんだろう。
こういった親の姿勢を見ながら育つ子供はどうなるのか。
何かあれば「パパとママが助けてくれる」と思い込んでも仕方がない。
いづれは「他力本願」で「無責任」な大人になってしまう。
そして何かあれば「誰かのせい」「何かのせい」。
常に原因を外に向けるようになり、自己分析が出来なくなる。
「自己責任」なんて廃語になるな・・。
「モンスター・ペアレンツ」の増殖は止まらない。
アメリカでは「ヘリコプター・ペアレンツ」と言われているらしい。
いつも子供の頭の上にいて、何かあればすぐに降りてくるという理由からだ。
こんな言葉は以前はなかった。
時代の流れと言えばそれまでだが、それで子供の自立心を養うことができるのか。
これで成人年齢を18歳になんてできるわけがない。
体はでかくなったが、心は到底それには満たない。
しっかりとした大人に育ってほしいと願うなら、
子供ができることは何でもやらせるべきだ。
問題解決にしても、どこまで子供ができるか見守るのも親の務めだ。
今は「アドバイス」ではなく、親が出した答えに乗っかっているのが実情だろう。
高校も大学も親が入学金や授業料などを出してくれた。
しかし、手続きやそのほかのことは自分でやるものだ。
親がカネを出してくれたんだから、ほかの事に手を煩わせるのはいけないと思った。
だからこそ親に対する感謝の気持ちが出てくる。
何でもかんでも親がやれば、それは「やって当たり前」になり、感謝の気持ちは生まれない。
大学に苦情や質問をする前に、自分の子供ともっと会話を持つことが先じゃないのか。
大学は何でも聞き入れてくれるが、自分の子供は時に反発する。
言い易いほうにばかり親が傾けば、子供とのコミュニケーションは希薄になって行く。
親自身が持つエネルギーを、もっと我が子に注ぐことが大切だ。