両親は孫がとても可愛いらしい。
以前旅行に行く計画があったが、私の息子がサッカーの練習でいけなくなったら、
「あいつが来ないんじゃ、今回はやめよう」とあっさりご破算となった。
そんな思いを知ってか、息子は「おじいちゃん」が大好きである。
娘たちも暇があれば、両親の家に遊びに行く。
そんな関係であることが、息子として、親として、私も嬉しい気持ちである。
両親がいなければ私ももちろん、子供たちも存在しない。
この世に生を受けることが出来るのは、祖先のおかげである。
正月や盆、また墓に眠る祖父母や伯母の命日には必ず墓参りに行く。
それが我が家では普通なのである。
この事件は、そんな祖先に対する反逆行為である。
年老いた祖父母に手をかけるなど、どんな理由があろうが絶対に許されるものではない。
ましてや、生きたまま火をつけるなど、心を持っている人間のやることではない。
こんな残虐な事件でありながら、今後この犯人に下される判決はどんなものになるのだろうか。
そのとき心神耗弱とか、心身衰弱とかの理由で極刑が免れることがあるのだろうか。
人の命を奪うものへの擁護をすべて失くせとは言わないが、
動物にも劣る行為をした犯人に、情状酌量の余地はない。
なぜこんなにも親殺し、子殺しなどの家族内での殺人が起きるのか。
ゲームにのめりこみ、バーチャルな世界をアタマに刷り込み、「リセット」すればなんでも再開出来る。
そして学校教育では「道徳」がなくなり、人の痛みを知る機会が愕然と減った。
これらの事件は、現代が抱える病魔である。
テレビでも、人の頭を平気で叩く芸人がもてはやされ、
有名になったことを「勘違い」し、何でも許されると言動にけじめがない。
政治家は金儲けだけを考えて利権にむさぼりつく。
見本となる大人もいるのだろうが、あまりにもアホな連中がのさばりすぎだ。
昔は親殺しは有無を言わさず処刑であった。
自分を生んでくれた親を殺すなど、言語道断である。
どんなひどい仕打ちをしても、親は親である。
方法はいくらでもある。
命を奪う前に、やれる事はいくらでもある。
「生きる覚悟」を持って、行動することを忘れてはならない。