ブログネタ:もう一度会いたいアノ人 参加中

中学2年のときに、沖縄に行ったことがある。
個人で観光に行ったのではなく、沖縄が復帰以前から本土との交流で行っていた「交歓豆記者」という
世田谷区の代表の一人としてであった。
当時の校長が「本土沖縄交歓豆記者」の会の理事を務めていて、
「今回は我が校から」という要望があった。
他に3校の男女を加えて、東京からは8名が選ばれた。(当時は全員が世田谷区だった)

中学時代は、よく勉強もし、生徒会の仕事も積極的に行っていた。
冬は一番に登校し、コークスをストーブに入れ教室を暖かくしていた。
そんな行動が先生たちに認められ、私が学校の代表になった。
(あのまま勉強していればなぁ・・)

夏にはまず沖縄の中学生たちが本土に来た。
日本各地を回り、もちろん東京にも訪問した。
国会議事堂にも行き、当時の官房副長官の海部俊樹氏との会談もあった。
後に総理に就任した時には、自民党ではあったが思い入れもあり支持していた。

きっかけは覚えていないが、沖縄から来た一人の女子生徒の朗らかさにとても惹かれた。
恋愛感情はなかったが、沖縄訪問の時はまた会いたいと思った一人だった。

沖縄の訪問が終わり、いつの間にか彼女と手紙のやり取りをやっていた。
それがやがて10年にも及ぶ文通になった。

東京で他の子と付き合っている間に、私は沖縄に一人で彼女に会いに行った。
彼女と2人きりで行動したのではなく、彼女のと友人たちと海に行ったり、キャンプをしたりして過ごした。
座間味の島で夜にバーベキューを食べ、たらふく飲み、白砂の浜辺と青い海を照らす月に感動した。

10日間の滞在だった。
最後の夜に彼女と二人きりになれる短い時間があった。
東京に彼女もいる。 でも沖縄の彼女の屈託のない優しさに心が傾きそうになった。

手も握れなかった。 触れたら、本当に壊れそうだったから。
東京に帰るときに、「オーストラリアに行こうよ」と言った。
二人で遠くの国にいきたかった。 理由などない。
ただ、あの時の気持ちに嘘はなかった。

東京に戻り、お礼を兼ねて手紙を書いた。
彼女のご両親にも大変お世話になったからだ。

そして彼女からの返事は、「やっぱり東京は遠いです・・」だった。
夏の沖縄での彼女との時間は一時の幻想だったのか。
現実は気持ちを保つには距離がありすぎたのか。

そんな思いがあったためか手紙を書けずにいたが、数年して彼女からはがきが届いた。
「独身最後の夏になりそうです」

思い出になっていたが、やはり沖縄への想いは強かった。
なぜか吹っ切れた感じがした。

私も結婚し、子供も授かり、サラリーマンを経て今は個人事業主となっている。
独立して間もない頃、一通のメールが来た。
「お久しぶりです」との件名。

沖縄の彼女からだった。
どうやってアドレスを調べたのかと聞けば、私の名前を検索し、HPからアドレスを見つけたのだった。
彼女も結婚し、子供も3人いるとのことだった。

何度かメールをしているうちに、当時の気持ちを書いた。
もう終わっていることだし、お互いに家族もあるからと軽い気持ちで・・

なんと彼女は私よりも想いが強かった。
今のご主人が初めて付き合った相手だった。
それまでは私への想いがあり、誰とも付き合えなかったということだった。

ヤフーメッセンジャーで話もした。
あの頃のままの声だった。
当時の話になると「泣きそうだから・・」と・・

一つの勇気があれば・・と思うが、後悔はしていない。
それが私と彼女との運命だったのだろう。
まだ独身の時に分かっていたら当然つかまえに行っただろうが・・

今は懐かしさで彼女と会ってみたい。
距離は遠いが、いずれ沖縄にいけるときも来るだろう。

お互いの気持ちを知る勇気がなかった二人。
そしてお互いに歳を取ったが、すでに気持ちもさらけ出した。

家族は関係なしに会いたいかな・・