
第一には「人の痛みが分かる人」ですね。 これがない人はどんなに美人でも優しくてもダメです。
人の迷惑になっていることを感じなかったり、我先に自分の主張をし、それを曲げない人は却下です。
これは女性に限らず、男性でも同じです。
人の痛みが分かる人なら、どんなに親しくても言葉を選ぶ配慮が出来ます。
喧嘩をしても、「ここまで」という限度を知っています。
体の不自由な人にも、お年寄りにもやさしく出来るでしょう。
ましてや、人の命を「誰でもよかった」などと自分勝手に奪うこともしないはずです。
今の教育では、「人の痛み」は理解するのに時間がかかるでしょう。
「かえるの解剖」実験なども、そういった意味でも必要な授業だと思います。
命の尊さも知ることが出来る。
今は何でも「事なかれ主義」の金太郎飴教育がまかり通り、「痛み」を知らない人が多すぎます。
第二には「経験のないことを分かったように言わない」ことです。
評論家の中でも、ある国に批判的なコメントを声を大にして言いますが、
その人自身がその国に行ったことがないということもあります。
批判するなら書物やテレビ、インターネットの情報だけでなく、実際に自分自身が体験しなければ、
その国のはっきりとした状態がわかるわけがない。
若い人の中でも、経験がないことをさも悟ったように言う人も多い。
「希望や夢」を語るなら良いが、仕事や勉強に対して「そんなのは必要ない」とか、
「将来に役に立たない」とかの理由でやりもしないで諦めてしまう。
「やりきる」ことをしないで、周りの状況に振り回され、
無為に時間を過ごしてしまうことはとてももったいないですね。
恋愛もたくさんして、いい男、いい女になって欲しいものです。
第三には「自分の言ったことに責任を持つ」ことです。
言ったからにはそれを全うする。 つまりは「嘘はつかない、約束は守る」ということです。
時には間違うこともあります。そのときは責任を持って謝ればいい。
その人が心から間違いを悔い、謝罪すれば、その気持ちは通じます。
「痛みを知っている人」なら、必ず分かってくれますから。
「言葉は言霊」です。人の耳に入れば、それはその人の今の気持ちそのものです。
だから「ついうっかり」ということでも、その人の本当の気持ちなのです。
心にないことを言ってしまうことはあまりない。
心にあるから言葉となって口から出るものです。
「心無いこと」をしたり、言ったりする人は、本当に暖かい気持ちがないのです。
つまり、そういう人は「責任」がない。
誰かが傷ついてしまおうが、関係ない。
言葉に感情を乗せるのではなく、感情に言葉を乗せてしまう。
だから「自分の言ったこと」に責任が持てないのです。
自分の気の合う人ばかりと付き合えるわけではありません。
ただ、自分だけは、この三つのことをいつも念頭にして、人と付き合っていきたいものです。