
最短は覚えていないが、最高は6年ですね。
高校3年の終わりの頃から、浪人生活、大学4年間、そして就職1年目の12月まで・・。
料理は美味いし、達筆、両親への挨拶も欠かさず行ってくれた本当に「いい女」だった。
社会の現実を知らない夢ばかり追いかけていた若い頃の自分は、
彼女にとっては物足りない存在になっていたのでしょう。
学生のころはそれでも良かった。
夢を追いかけて理想を語っていても、彼女も大学生だったから。
一足先に就職した彼女は、社会の現実を目の当たりにし、
仕事に情熱を傾ける人たちに「男としての価値」を見出していた。
私が就職する際に、いわゆる「コネ」で、ある大企業に就職できるチャンスがあった。
しかし、その「コネ」が嫌いでそれを断ったことから、彼女が私に対する思いが変わってきた。
「なんで、断ったの? 将来は間違いなく安定するよ。
そこで頑張ることが大切なんじゃない?
それにこんなチャンスは誰にでもあるわけじゃない。」
それを彼女から聞いたのは、別れてから22年経った時だった。
同窓会で彼女と話して、初めて知った。
当時は、何を言っても分かってはくれないだろうと彼女はあえて言わなかったのだ。
私もそれを聞かされてもきっと変わってなかったと思う。
本音は、その大企業でやっていける自信もなかったのだから。
「あの時、そのまま就職してくれていたら結婚していたよ」
「今のダンナと結婚しようと決めたのは、あなたが私の本当の気持ちを分かってくれなかったから」
笑い話であるが、もっと彼女を気持ちを大切にしていれば良かったと思った。
覚悟を持って、就職すればよかったのかもしれない。
思い起こせば彼女からの別れのセリフは
「あなたのことは今でも好き、でもあの人のことがもっと好き・・」。
青春時代に本気で惚れあって、楽しい時間を過ごせたことは今でも懐かしい。
沖縄、京都、小淵沢、軽井沢、河口湖、箱根、そしてスキーと、
彼女と旅した場所はたくさんある。
毎年正月には着物を着て、両親に挨拶してくれた。
自分があまりにも子供だったと、今でも反省する。
その反省が生きていたかどうかは分からないが、
現在は、妻とは3人の子供と共に幸せに暮らせている。
年月の長短では測れない大事な部分がある。
大切なのは、どれだけ相手にこだわっていけるか。
時間やお金を度外視して、惚れた相手にどれだけこだわっていけるか。
打算が少しでも生まれてきたら、そのときはお互いのために離れたほうが良いと思う。
妻とも結婚までに5年付き合いました。