今日の読売新聞朝刊に「モラルを問う」という記事があった。
読んだ方も多いと思うが、今の親のレベルが知れる内容であった。
保育園に預ける親のことが書かれている。
まず呆れたのが、
「子供が鬼を怖がるから、豆まきが終わってから来ます」と言った親がいることだ。
子供の頃に何が怖いかを知るチャンスをみすみす逃したのである。
園長らが「怖がる経験も大切」と説得しても無駄だった。
いろいろな状況を経験させないで
将来どういった子供に育てたいのか。
また「鬼」がどういったものかを知るチャンスもみすみす逃したのである。
本で見るからいい、なんてこのバカ親は言うだろうが、
先生たちが手作り(だと思うが)した鬼を、
子供たちはいつの日か懐かしんで、きっと心に残るだろう。
みんなで怖がっても、またそれが子供は楽しいのだ。
そんな経験をして心が豊かになるのだ。
集団生活とは、いいことばかりではない。
だから「痛み」を感じ、覚え、人にやさしくなれるのである。
過保護にもほどがある。
「あんたの子供じゃないんだから、文句言うな!」と言われるだろう。
だが、子供のことを真剣に考えているはずがない。
「自分が嫌なだけ」なのだ。
子供が怖がるのを見ている自分に我慢ができないだけなのだ。
子供が可哀想なのではなく、
耐えてる自分が可哀想なだけである。
己の小心さを子供に肩代わりさせているだけである。
「子供の教育よりも、親の教育が必要」と現場からは聞こえているらしい。
読んだ方も多いと思うが、今の親のレベルが知れる内容であった。
保育園に預ける親のことが書かれている。
まず呆れたのが、
「子供が鬼を怖がるから、豆まきが終わってから来ます」と言った親がいることだ。
子供の頃に何が怖いかを知るチャンスをみすみす逃したのである。
園長らが「怖がる経験も大切」と説得しても無駄だった。
いろいろな状況を経験させないで
将来どういった子供に育てたいのか。
また「鬼」がどういったものかを知るチャンスもみすみす逃したのである。
本で見るからいい、なんてこのバカ親は言うだろうが、
先生たちが手作り(だと思うが)した鬼を、
子供たちはいつの日か懐かしんで、きっと心に残るだろう。
みんなで怖がっても、またそれが子供は楽しいのだ。
そんな経験をして心が豊かになるのだ。
集団生活とは、いいことばかりではない。
だから「痛み」を感じ、覚え、人にやさしくなれるのである。
過保護にもほどがある。
「あんたの子供じゃないんだから、文句言うな!」と言われるだろう。
だが、子供のことを真剣に考えているはずがない。
「自分が嫌なだけ」なのだ。
子供が怖がるのを見ている自分に我慢ができないだけなのだ。
子供が可哀想なのではなく、
耐えてる自分が可哀想なだけである。
己の小心さを子供に肩代わりさせているだけである。
「子供の教育よりも、親の教育が必要」と現場からは聞こえているらしい。