stockracerの雑記録 -69ページ目

stockracerの雑記録

株・競馬から、スポーツ・時事問題まで。ジャンルに拘らず、ブログならではの自由な切り口で、何でも好き勝手に書いてしまおう!

 年末だというのに、いつもの事情でなかなか更新できないのが心苦しいのだが、巨人に入団した時からずっと好きだった、松井秀喜選手が引退を表明したので、どうしても一言書きたくなった。

 4年前の秋、突然難病といわれる病(ギランバレー症候群)に罹り、車椅子生活となった。総合病院での2ヶ月の入院生活の後、リハビリ専門病院に転院したが、主治医の診断は、一生自力では立つことさえ難しいだろうという厳しいものだった。しかし、今でも不思議なことだが、何の根拠もないのに、僕には歩けるようになるという確信めいた感覚があった。だから、リハビリを苦しいとか辛いと思ったっことは一度もなく、絶対に歩いて退院(リハビリ病院が自宅から5km程の所にあった)するんだと勝手に決めていた。

 自主トレを含めて、一日約13時間のリハビリ生活での楽しみは、携帯のスポーツサイトで、松井の試合結果を見ることだった。彼が活躍すれば、もっともっとリハビリを頑張れると思えた。ホームランを打った日には、本当に身体がよく動いたような気がした。彼の野球に取り組む真摯な姿勢、フォアザチームの精神、どんなに実績を上げてスター選手になっても、ファンを大切にしてマスコミ対応も丁寧(日米のマスコミが、松井の人間性について悪く報じたのを見た事がない)。決して、威張らず、驕らず、そして怒らず。それでいて威厳を保ちユーモアも解する。怪我などで窮地に立たされても、腐らず、諦めない。随分年下だけど、そんな松井に対して尊敬の念を持っていたから、歩けないと宣告された時に、「絶対に歩いてみせる、俺が例外になってやる。今まで、真面目に生きて来たとはとても言えないけど、今度こそ自分の限界を超えるまでリハビリをやってやる」 と、前向きに考えることができたのだと思う。

 自分の気持ちをコントロールできたからか、限界までリハビリをやったからか、或いは運がよかっただけなのかは分からないが、5ヵ月後、杖をつかずに手に持った状態で、5kmの道のりを歩いて退院することができた。今でも、手足に多少の障害が残るが、早歩きもできるし、日常生活に支障は無い。この経験が、松井の生きる姿勢に影響を受けたことは間違いない。だから、その年のワールドシリーズで、彼が大活躍してMVPを獲得した時は、とても嬉しかった。チームメイトや、ニューヨークのヤンキース・ファンに祝福されている姿を見て、涙が出そうになった。

 ところで、MVPを獲った後、ヤンキースから残留のオファーが無かったとの一部報道があるが、それは間違いで、キャッシュマンGMから提示された条件は、減俸に加えDH専門でしか使わない事。したがって、主力のジーターやA・ロッドが守備につかない試合ではベンチスタートになる。これらの条件を松井側が呑めば、残留することは可能だった。しかし、守備につき、全試合出場を目指していた松井側と折り合いがつかず、ニューヨークを出ることになったというのが事実だ。ヤンキースを離れてから、引退までの最後の3年間の苦労を見ると、あの選択が正しかったのかどうかは微妙なところだ。今シーズンの途中から、イチローがピンストライプのユニフォームで活躍する姿は、皮肉にさえ思えた。でも、引き際の潔さにも表れているように、プレーだけではなく、人柄とプライドも超一流の、彼らしさが滲み出ているような選択だったと思う。

 今はただ、長い間お疲れ様。勇気と希望を与え続けてくれて、ありがとうと言いたい。彼ほど、誰からも愛され続けた選手は、いないだろう。次のステージに何を選ぶのかは、彼のみぞ知るところだが、きっとまた、人を笑顔にして、元気が湧き出てくるような活躍をしてくれるに違いない。個人的には、巨人の監督というのは、ちょっと違うような気がするが、これについては、違う話になるので、別の機会に書いてみたい。



 2009・MLB・ワールドシリーズ第6戦 松井秀喜・先制2ランを含む6打点でMVP




 この動画に映っているホームランが、松井秀喜のヤンキースでの最後の1本となった。忘れないように、目に焼き付けておきたい。


 では、また。