こうも長いこと生きてると、人生の中でいくつものbefore、afterがあって、それを繰り返す度に落ちぶれた人生になりました

落ちるところまで落ちたなと、思います

何年も無気力で、引きこもり、異常な体重(117.4Kg)

こんな自分に自己嫌悪です

お風呂に2週間入ってない、ゴミ屋敷

今日は、母の白内障の手術経過を診てもらう為に、付き添うはずが、どうしても行きたくない病が発生して、付き添えませんでした

手術後、いくら介護タクシーの人が玄関まで付き添ってくれるとはいえ、まだぼやけてしか見えてない母をひとりで眼科に行かせるなんて最低です

だからでしょうか、いつもに増して自己嫌悪感が酷いです

いつからわたしは、こんな廃人みたいになってしまったのか

幼少期は父が会社を経営していて、わたしはいわゆるお嬢様でした

しかし、数年後父の会社は倒産、唯一望みのある見知らぬ土地へ引っ越しました

しかし、そこでも父の仕事は上手くいかず、借金取りから逃れる為に、父と母は偽装離婚し、父は単身仕事探しに、ひとり都会へ行きました

わたし達は夜逃げをして、まだ健在だった祖父母のいる一戸建て式のボロアパートに身を置くことになりました

とにかくボロアパートで、トイレはボットン便所で、お嬢様育ちのわたしは、屈辱でしかありませんでした

どうやって生計を立てて行けばいいか途方に暮れました

祖父母はわたし達を養うお金はありません

母は体が弱く、よく寝込んでいた為働けません

その時、1回目の生活保護を受けることになりました

当時わたしは5年生、閉鎖的な地域で転校生だったわたしはいじめに合いました

5年生にもなると、生活保護の意味もわかり、いじめっ子からバラすぞと、脅迫されたことも多々ありました

生まれ育った地域に戻りたいと、何度も母に泣いてすがりました

しかし、それは無理な話でした

わたしもわかっていました

当時は登校拒否という選択肢がない時代でした

わたしは、とにかく耐えるしかありませんでした

そんなわたしにも転機が訪れます

高校生になり父の仕事が軌道に乗り、仕送りも来るようになりました

昔ほどではありませんが、多少の贅沢はできるようにまでになりました

そしてわたしは悪い仲間とつるむ様になり、昔いじめられた悔しさを晴らすために、思い切り遊ぶようになりました

いわゆる、高校生デビューです

綺麗な家にも引っ越し、友達を呼んでは夜な夜な宴会

学校もろくに行かなくなりました

そんな日々を過ごしていましたが、なんとか高校を卒業し、今度は真面目に専門学校にかようようになりました

そして数年後、原因不明の高熱とリンパ腺の腫れで入退院を繰り返しました

リンパ腫、白血病を疑われたものの原因ははっきりしませんでした

そんな時、父が失踪しました

当時わたしは働いていましたが、家族を養うだけの稼ぎはありません

父の残した借金もあります

途方に暮れたわたし達は、親戚を頼りにまた、新天地へ引っ越しました

冬が厳しい地域で、冬にまた高熱が続くようになり、入院することになりました

そこでも、リンパ腫、白血病を疑われましたが、はっきりわからないまま退院しました

生命保険でなんとか暮らしをつなぎ、半年ほど休みバイトから始め、体を慣らしました

そこで、一家を養う為に手に職をつけようと、専門学校に再度入学しました

働きながらの通学だったので、学費は職場持ちになったので、本当に助かりました

さすが責任が重い仕事に就くための学校、教師、授業、本当に厳しいものでした

その厳しさから卒業まで三分の一の生徒は退学してしまいます

わたしも何度もつらい思いをしましたが、なんとか卒業できました

就職してから…

先輩からパワハラを受け、鬱状態になり初めて精神科に通うようになりました

精神科の治療を受けながらすごくつらかったのですが、家族を養うためになんとか働き続けました

しかし、そんな状態では仕事をミスしてばかりで、仕事にならず退職しました

そして少し休養し、新たに見つけた職場では、楽しく働くことが出来ました

そんな時…

また、高熱が続きリンパ腺が腫れる状態が続き入院しました

そこで、長年の高熱の原因がわかりました

膠原病(全身性エリテマトーデス)と、確定診断がつきました

この病気は、国の難病指定を受けています

幸い適切な治療を受けて、完治はしない病気なのですが、退院しても大丈夫だろうというところで、退院しました

しばらく自宅療養をし、家族を養わないといけないので、また働き始めました

ところが…
今度は膠原病の薬の副作用で鬱が悪化し、働けない状態になり、退職をしました

そこで、家族会議をして、わたしはもう働くのは不可能で、となると、わたしは家族を養えなくなります

一家離散をせざるを得ない状況になりました

そこで人生2度目の生活保護を受けることになり、今に至ります

堕ちるところまで堕ちました

今は症状が良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、過ごしています

心身ともに病んでいるのはダブルパンチです

せめて、どちらかだけだったら…

しかし、悔やんでも仕方ありません

静かに静かに暮らしたいと思います