ところで、私が今回のタイトルにわざわざ第二の矢という言葉を使った理由から説明します。
先ずは、新型コロナウィルスやエイズや台風などのあらゆる現象は、敢えて言うならば第一の矢です。
それ自体確かに困っものですが、人間はその第一の矢だけでなく、その後の「第二の矢」によって、更なる不幸を招く生き物かも知れません。
簡単に言えば、その第一の矢に冷静に対処し、然るべき行動をとれる人は、まだ救われます。
ところが…その第一の矢に冷静に対処出来ない人は、思考や感情が様々な誤作動を起こします。
パニックに陥る、他人にネガティブな感情をぶつける、落ち込みや過剰な不安からミスを連発する。
まぁ、他にも色々あるとは思いますが、私に言わせたらこの「第二の矢」だけは、第一の矢と違って我々の努力や工夫で避けられる可能性を秘めている筈です。
思考の誤作動には、やはり常日頃からの哲学が最も有効なことは言うまでもありません。
そして、感情の誤作動にはやはり常日頃からネガティブな感情を圧し殺すのではなく、なるべく害のないように発散するしかありません。
哲学によって思考をフラットに、発散によって感情をフラットに、この二つによって少なくとも第二の矢には当たらなくなる筈です。
そもそも、この第二の矢という考え方は、あのゴータマ仏陀が発案したものだから驚くしかありません!
我々は生きている限り、様々な災害や病気や不幸に見舞われる可能性があります。
残念ながら、それを完全にゼロには出来ないとしても、せめてその後に第二の矢にだけは当たりたくないと思うのは私だけでしょうか?
人間生まれた以上、必ず死にます…こればかりは完全に平等です。
石ころで躓いて死んでも、コロナウィルスやガンや災害で死んでも、何万人の命を失う人は一人もいません!
誰しも、自分一人分の命を失うだけに過ぎません。
世の中がこの先どうなるのか?
そんな不安やパニックも、私に言わせたら、それは「第二の矢」です。
ある意味では第一の矢よりも、もっと手強い相手かも知れません。
こんな時代こそ…
第二の矢にご用心!!