小佐古内閣官房参与が辞任した。政府の原発対応を批判してのものだ。
福島の年間20mシーベルトに決めた上限は原発従事者でもめったにいない被曝数値なのにもかかわらず、それを子供に求めていることを許せないと発言。
もっともなことだ。
政府内にもまともな感覚の人がいたことに安心したが、その意見に対し、「何を言っても無意味だというなら、参与に留まる意味がない」という言葉でわかるように政府内にはもはやまとまな感覚の人がいないということを暴露した。
もともとこの20mシーベルトの上限は誰がどうやって決めたのか。もともとの法律違反の数値のはずだが、法律改悪をしたのか。改悪を強行したのだろうか。
そんな議事を国会で行ったということは全くニュースでは流れなかったが、報道管制をしたのか。
もしそうなら日本はもう民主主義国家とは言えない。
国民の安全を脅かす決議がいつの間にか行われて、報道もされないなら、世界一ひどいと我々が思っている国に匹敵する暴挙。その国を批判することはできないし、そんな政府を国民は許せるのだろうか。
もし、決議していないなら、明らかに法律違反。ならば政府関係者はなぜ法律違反に対し、何もしないのか。
もしそうなら日本はもう法治国家とは言えない。
国民を守る制度が全く機能しないうえに、法を破っても何も問題ないなら、誰も法を守る人がいなくなる。仮に破ってもいい法と破ってはいけない法があるなら、その基準を示さなければ、気まぐれ適用といわれても仕方ない。
こんな国に誰がしたのか。
かつての自由民主党政府に失望して、現在の政府が誕生したのだが、自由民主党政府のままであっても、法を破っても何も問題ないという対応をしただろうか?
したとしたら、官僚組織の問題ということになる。官僚には法を破ってもいいという治外法権の権利があるのだろうか。
文部科学省の若い担当者が福島の20mシーベルトの決定について話している映像をみた人も多いことだろう。日本中の国民はこの役人の顔と名前を決して忘れてはいけない。
10年後、福島の子供たちに起ること。そのときにその現実をつくったのはこの人たちであること。
できるなら、福島の人たちは、この人たちを信用しないで、自分で除センをすすめてほしいものだ。
その際に文部科学省は決して邪魔しないでほしい。すでに文部科学省が除センに対し、余計なことはするなと言ったといわれているが、それがどんな現実を引き起こす言葉なのか、10年後にはわかるだろう。
国民は現在の文部科学省の人たちの顔と名前を10年後まで決して忘れてはいけない。