釈尊の時代には、仏道修行に勤しんで覚ろうと思うならば在家であるよりも出家生活の方がすぐれているとされていました。
しかしながら、少なくとも現代日本においては、その構図が逆転していると見なければならないのです。
と言うのは、現代日本における出家生活では法の句を耳にする機会が在家よりも少ないと考えられるからです。
それは、言ってみれば、まるで牢獄の囚人同士で覚り合おうとするようなものだと言えるでしょう。
その一方で、釈尊時代の修行環境は「広々とした野外」と言われるものであり、覚りの障害になるような縛りがなく、なおかつ法の句を聞き及ぶ具体的な機会が托鉢というかたちで存在していました。
ちなみに、托鉢時に法の句を聞き及んだり世間のことがらから覚りの機縁を得ようという仏道修行のやり方は、釈尊成道の経緯・経験から発想されたものであると言って間違いないでしょう。
実際、テーラーガーターなどの仏典を読むと当時の弟子達の覚りの様子を垣間見ることができます。
267 美しく飾られ、美麗な衣装をまとい、花輪をかけ、栴檀の香粉で化粧して、舞姫が、大道のさ中で、楽器に合わせて踊っている。
268 わたしは、托鉢のために(町の中に)入って行った。進んで行きながら、わたしは、かの女が、美しく飾られ、美麗な衣装をまとっているが、しかし死の縄をひろげているかのごとくであるのを見た。
269 そこで、わたしに、正しい道理にかなった思いが起った。患いであると思う念が現れた。世を厭う気持ちが定まった。
270 次いで、わたしの心が解脱した。見よ、——教えがみごとに真理に即応せることを! 三つの明知をすでに体得した。ブッダの教えはなしとげられた。ナーガマーラ長老(仏弟子の告白・テーラーガーター 四つずつの詩句の集成 中村元訳 岩波文庫)
299 銀(の装身具)に覆われ、侍女の群れに傅ずかれ、子を脇にかかえて、妻はわたしに近づいて来た。
300 わが子の母が装飾されて、美しい衣装をまとい、近づいてくるのを見たが、死の罠がひろげられているかのごとくであった。
301 そこで、わたしに、正しい道理にかなった考えが起った。患いであるという念いが現れた。世を厭う気持ちが定まった。
302 次いで、わたしの心が解脱した。見よ、——教えがみごとに真理に即応せることを! 三つの明知をすでに体得した。ブッダの教えはなしとげられた。チャンダナ長老(仏弟子の告白・テーラーガーター 四つずつの詩句の集成 中村元訳 岩波文庫)
これらから分かるように、托鉢の時間も早朝というわけではなく、また家族の面会についてもとくに制限されていなかったことが窺えます。
つまり、食事は午前中にのみ行うべきことなどのような戒律はあるものの、修行をどのように進めるかについては修行者本人に基本的には任されていたということなのでしょう。
ところが、現在で出家生活とされているものは、少なくとも修行の本体としては世俗との積極を絶っているものがほとんどであり、釈尊時代のそれと比べても、本来の仏道修行から解離していると言わざるを得ないでしょう。