どんなに聡明な人にとっても、功徳を積むことは容易ではありません。

 

なぜならば、何か特定の行為を為しさえすれば功徳が積まれるわけではないからです。

 

その機微を説明するには、最も功徳が積まれる行為について述べるのが分かり易いかも知れません。

 

さてその仏道修行者が最も功徳を積むことができる行為とは、

 

 「他の人を覚りに近づけることが大きな功徳を積むことそのものである」

 

ということになります。

 

つまり、自分の行為が相手の行動——実際には相手の心底の指向性の変化——の確かな契機となったときにのみ功徳は積まれ得るということなのです。

 

このため、相手が「やってみようかな?」と考えるようになった程度では功徳が積まれたことにはなりません。

 

あるいは、相手が一般的に功徳になると言われているものを履行するようになった程度でもダメなのです。

 

功徳を積むためのあり得べき心底の変化とは、例えばパンを主食としている人を米を主食とするように変えるというほど大きなものなのです。

 

もちろん、功徳を積む方法はこれだけではなく、自分自身で閉じた功徳の積み方もあるでしょう。

 

ただし、そのような場合でも、自分が和食好きから洋食好きになるほどの変化が必要となるのです。

 

そもそも、功徳とは、禅の六祖慧能ブッダが説いたように「見性することに巧みであり、素直なこころが徳そのものであることを云う」ことを指しています。

 

つまり、覚りの機縁に臨んだときに直ちに覚って仏になることができるような準備状態に自分を持って行くことに他ならないのです。

 

このようなことから、誰にとっても功徳を積むことは容易ではないと言わざるを得ないのです。

 

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