世間でいうところの黒歴史とは、基本的には若気の至りであり、本人が当時はいい線を行っていたと思い込んでいた出来事が、後になって思えばとても恥ずかしいことを為していたということに思い至り、黒歴史と呼ぶようになたということでしょう。

 

その一方で、仏道修行者が知ることになる自身の黒歴史とは、人として為してはならぬことをしてしまっていたのだという深い後悔と今後は決して為さぬという決心をすること、すなわち懺悔(さんげ)に結びつくものなのです。

 

ところで、人(衆生)はしあわせになろうとして世間の楽味(味著)を追い求めるものですが、それを満足の行くかたちで得ることはできません。

 

なぜならば、世間の楽味(味著)は、すべて苦に帰着するものであり、この意味において楽味(味著)の正体は苦そのものなのであると説かれることになります。

 

また、大きな苦を感受した人は、苦(楽味(味著))を以て先の苦を捨て去ろうとさえしますが、それは痒いところを汚れた爪で掻きむしるような愚行であり、より深い苦への悪循環をもたらしてしまいます。

 

では、この苦を絶つにはどうすればよいのでしょうか?

 

一つの道は、最初から苦を追い求めないこと。すなわち、欲望を捨て去ることです。

 

もう一つの道は、楽味(味著)の過患を知り、出離の心を起こし、自己の根本の愚かさを制して離貪することです。

 

おおよそ前者は心解脱に相当し、後者は慧解脱に対応します。

 

そして、これらの解脱への道を説くのが仏教なのです。

 

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